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俳句入門講座

ようこそ 俳句の世界へ

住職の俳句

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大河

2022-08-18
中元に問ふ消息のありにけり

コロナ禍を語る忌日やメロン食む

吾子少し母親似なる浴衣かな

出棺の涙は汗となりゆけり

大海を子に知らせたきプールかな

盆僧とまたすれ違ふ車窓かな

初盆の輪に捨て猫の加はりぬ

町覆う花火を待つている気配

灯りなき流灯のゆく大河かな

大法会

2022-06-20
稚児の列伸びる城址や風薫る

奏楽の少し不協の暑さかな

ラーメンにカレーライスの法会かな

扇風機離れぬ僧のをりにけり

歌姫の声涼しかり大法会

太陽の香

2022-06-14
水を打つ太陽の香の中にをり

もう既にビールの口となつてをり

雨だれの跳ねては消ゆる五月闇

白牌のぬめりと滑る梅雨入り(ついり)かな

咲きのぼる葵に空の遠くあり

あめんぼう

2022-06-12
墓経の藪蚊の中でありにけり

万緑の中にいつぽん木を植ゑる

緑陰に佇む妻の和装かな

夏木立抜ければ海と空と雲

夏萩や奉仕の心集ふ寺

水面を宇宙のごとく水馬

読経の声かすれゆく暑さかな

遠会釈

2022-06-10
一瞬の罪を思ひて蚊を打ちぬ

ほうたるや遺影のピースサインなる

十薬の刈られては香の立ち上がる

溝浚へ終え来し人の遠会釈

焼香のしんがりにふと火取虫

そのまんま生き死ねばよしソーダ水

子を抱きて打てぬ藪蚊のをりにけり

辣韭の不格好なるカレーかな

住職原稿(日本伝統俳句協会機関紙「花鳥諷詠 一頁の鑑賞」)

金剛の露ひとつぶや石の上   川端茅舎

金剛の露ひとつぶや石の上   川端茅舎
(昭和六年『ホトトギス雑詠選集』秋の部より)
 
金剛心という仏語がある。人間の心ではない。仏の心。「あなたを絶対に見捨てない」という決して動かない、壊れない心をあらわす。そのダイヤモンドのような心に出遇うということが、仏道の目的である。
 
若い頃より病に侵され、露のように頼りなく、はかない自分を見つめ続けた茅舎。固い石の上で輝きを纏い、動かない露は、彼の求め続けた救いの象徴でもあったであろう。
 
四十三歳でいのち終えるその刹那、眼裏に金剛の露ひとつぶがあったに違いない。
 
僧侶であり、俳人であった祖父が晩年重い帯状発疹を患った。その言いようの無い痛み、苦悩の底で、祖父は露の句を詠んだ。
 
「露の身ののがるすべなき老病死」
 
露のようにはかない自らを詠んだのだろうと思っていたが、違う。
 
老病死を包む金剛の露を詠んでいるのだ、と揚句に触れてふと思った。
 
茅舎に深く感謝したい。
 
祖父は今、金剛の身となって、ゆらめくひとつぶの私を支えてくれている。
kenshi

寺の扉の谷に響くや今朝の秋   石鼎

寺の扉の谷に響くや今朝の秋   石鼎

(大正二年『ホトトギス雑詠選集』秋の部より)

 

ここでの扉とは寺の門のことであろう。仏教に縁の深い龍の彫刻が施されていることが少なくない。釈迦の誕生の際、龍が甘露の雨を降らせ、沐浴をさせた。仏を信じる者を守護する象徴としても知られる。

 

石鼎は失意の底にいた。医師を目指し進学するも落第。放校処分となった後、親にも勘当され、放浪の身となる。

下を向きながら、当てもなく放浪していると、いつしか深い闇に包まれ、辿り着いたのは山寺。大きな門を有している。固く閉ざされた門に浮かぶ龍の彫刻。しなやかにやわらかく伸びる尾とは対照的に頭はごつごつと、大きな恐ろしい眼で闇を射ぬき、石鼎を睨む。

 

やがて朝がやって来る。

開門の刻、固く重き門が「ごごごごご!」。猛々しい音が深き谷を染める。龍がしなやかに谷を泳ぎ、石鼎に微笑む。

 

訪れる静寂に振り返ると、秋。谷を静かに、秋が渡り始めている。

 

その後石鼎はホトトギス社に入社。龍に触れ、秋に触れ、石鼎の門が開かれた。

kenshi

 

夾竹桃くらくなるまっで語りけり     赤星水竹居

夾竹桃くらくなるまで語りけり   赤星水竹居

(昭和五年『ホトトギス雑詠選集』夏の部より)

 

先日の句会でのこと。

「顕之さん、寝床にも落花はありますよね」と言われた方がいた。

 

一日を終え、眠りに落ちる。閉ざされた瞼の闇。動かない闇。しかし、外では変わらず花は動き、落ちている。私の意思に関わりなく、自然は存在し、動いている。

「それを私は詠みたいんです」

面白いと思った。

 

蠢くような夏の暑さ。日中は外に出るのも億劫で家で過ごす。少し涼風の生まれる夕暮れを見計らい、外に出てみる作者。

 

やがて、格好の木陰に辿り着き、少し憩う。そこになつかしい友人だろうか。少し、はにかみながら現れる。久々の再会に暑さ、時間を忘れ、ただ語り合う。

 

二人の間に時間は溶けてゆき、ふと気づくと、うっすらと闇が迫って来ている。

 

見上げると、夾竹桃。

 

暗がりに赤々と咲いている。

 

二人の時間を生みだしたのは、この夾竹桃。木陰を作り、風に爽やかに揺れる。

その解放感に二人は別れ、夜も、夾竹桃の時間は続いていく。

 

蛍火の瓔珞たれしみぎはかな   川端茅舎

蛍火の瓔珞たれしみぎはかな   川端茅舎

(昭和五年『ホトトギス雑詠選集』夏の部より)

 

瓔珞とは珠玉と花型の金具を編み合わせたもので、仏前を飾る荘厳具である。そのきらめきは、その前に座る私の心を落ち着かせる。

 

古くはインドの王族が身につけた首飾りに由来があり、『観無量寿経』には釈迦に救いを乞うた韋提希が身につけていたとある。

 
()
 
 
()仏を讃え、救いを求める心が形になったものが瓔珞なのだろう。

 

透明な闇の中、水際に佇む作者。その静寂をポツポツと光が埋めていく。蛍の短い、いのちの光が線となり、水際に伸びてゆく。

 

その無常、美しさ。作者はそのきらめきを瓔珞のようだと表現された。

岸田劉生に師事し、優れた画家でもあった作者の感性が、その動かない比喩を生んだ。また、京都東福寺に籠り、仏道にも参じていたという。

四十三歳で人としてのいのちを終えた作者。

 

蛍火に自らのいのちを見ていたのかもしれない。

kenshi

 

あたたかに投捨ててある箒かな    浜人

あたたかに投棄ててある箒かな   浜 人
(大正十年『ホトトギス雑詠選集』春の部より)
 
私の友人が十数年前、三十一歳で命を終えた。
 
京都で一人暮らしをしていた彼はシャワー室で心臓発作が起き、そのまま一週間シャワーに打たれ続けた。
 
彼の実家である富山のお寺に葬儀参列の為、車を走らせた。
 
抜けるような青空の春の日の中、悲しみの堂へ続く参道に、ぽつんと箒が置かれていた。綺麗な参道。誰かが限りなく続く参列者の為に、埃ひとつ残さぬようにと掃いたのであろう。
 
その心のあたたかさを、春の日に思った。
 
道の真ん中に置かれていた箒をどけようと思い、触れた。
訃にはそぐわない、そのぬくもりに、彼を感じていた。
 
箒にはぬくもりがある。私達の道をあけようと、誰かが頑張ってくれた心のぬくもり。作者はその心情を春のやわらかい日差しに託された。ゆっくりと作者の心が解けてゆく音が聞こえる。
 
役目を終えた竹箒の竹の隙間を、優しい春の日が埋めている。
十七音にはおさまらない、春のぬくもりがこの句から溢れている。
 
kenshi
 

俳句入門講座17

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俳句入門講座15

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俳句入門講座14

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俳句入門講座13

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俳句入門講座12

俳句入門講座12

俳句入門講座1~11

俳句入門講座1~11
俳句の基本について仏婦会報「まなざし」にて連載しています。

住職の掲載作品

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角川「俳句」2月号

2018-01-31
角川「俳句」2月号
特集「高野素十の写生」に寄稿させていただきました。
 
俳句は極楽の文学。
 
俳句を通し、宗教を感じていたい。
宗教を通し、俳句を感じていたい。
 
そんな思いで綴った文章。
kenshi
 

角川「俳句」7月号

2017-07-04
角川出版より冊子が届きました。
光栄なことに、全国の若手俳人の1人としてご依頼をいただいたもの。
 
「若手競泳&同時批評」
よかったら、ご覧下さい。
kenshi

角川『俳句』掲載作品 「精鋭十句競詠」 

「呼吸」     能美顕之
 
山茱萸の小さき呼吸始まりぬ
 
蘆の角風に高さを揃へたる
 
春の川へとふくらんでゆく日差し
 
芽柳に織り込まれゆく光かな
 
春の雪里の余白を埋めてゆく
 
淡雪を少し纏ふといふ風情
 
宇宙には国境の無く遠霞
 
一望の春田に大いなる息吹
 
遥かなる水平線の霞かな
 
仏法の深さに溺れ春炬燵
 
○略歴
昭和52年2月9日生 
『ホトトギス』所属
 俳歴6年 
 
○メッセージ
「声」
自然と対峙していますと、ふと自分の小ささを思います。そしてその小さな私が大自然の流れにほどけてゆくような、不思議な感覚にとらわれる事があります。「あなたはあなたのままでいい」と声が聞こえて来るような、一瞬。その一瞬は私の宝です。「人間も大自然の一部分」。自然の声に耳を澄まして参りたいと思います。

俳誌『俳壇』掲載作品

「一日」

 

青空の端に囀りのこぼれたる

 

大いなる卯浪に浮かぶ岬かな

 

一列の光整ふ植田かな

 

その中に孤高の色や花菖蒲

 

夏空へ赤子の声の立ち上がる

 

雨の来て重たき風の若葉かな

 

蛙の音大雨の夜を司る

 

 

○俳歴

 

能美顕之 

昭和五十二年二月九日生

二〇一〇年 日本伝統俳句協会入会

二〇一五年 ホトトギス同人

 「ホトトギス」所属

 
○コメント
 
自然と対峙していますと、ふと自分の小ささを思います。そしてその小さな私が大自然の流れにほどけてゆくような、不思議な感覚にとらわれる事があります。「人間も大自然の一部分」。自分の小ささを忘れず、謙虚に自然の声に耳を澄まして参りたいと思います。

 

 

朝日新聞(東日本版)掲載作品 「あるきだす言葉たち」

「風音」      能美顕之
     
上りゆく香に棚引く秋日かな
 
秋風の膨らむ路地や鞆の浦
 
曇天に存在感の紅葉かな
 
過る風留まる風や大紅葉
 
天も地も今渡りゆく鷹のもの
 
風音の去りて落葉の始まりぬ
 
落葉踏む音に生まるるリズムかな
 
太陽を乗せて散りゆく大銀杏
 
念仏の声風となる冬の堂
 
一斉に銀杏落葉の景となる
 
風が風呼んでゐるなり冬紅葉
 
大空と一つになりて日向ぼこ
 
 
能美顕之(のうみけんし)。1977年島根県生まれ。「ホトトギス」同人。
2015年日本伝統俳句協会新人賞。
 

住職の受賞作品

日本伝統俳句協会協会賞
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