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住職継職奉告法要 2017年10月1日
住職継職奉告法要実行委員の皆さん

エッセー&法話

香茸

 
ご法事。
 
「香茸で炊いてみたんです~」
心のこもった、炊き込みご飯。
 
プンと香ばしい香りと
 
昨夜の失敗の味がした。
 
 
私はすぐ、自分が偉いと勘違いしてしまう。
そして、その気持ちの分だけ、大きな失敗を犯す。
 
愚かな自分を、取り戻させてくれる、失敗に。
 
ありがとう。
 
下を向く先に広がる、ぬくもりに。香りに。
 
ありがとう。
kenshi

私にはもう何もありません

 
ある真宗教学界の巨人の言葉を思い出す。
 
もう長くない、と病床。
集まってくる弟子に、今際の際、伝えた言葉。
 
「みんな、すまんかった。わしのいうたことは嘘だった。わしには何にもなかった。すまんかった」
 
力なく終わる身から、最後に搾り出されたもの。
自らの一生をかけて、積み上げてきた全てを投げ捨てる言葉。
 
結局
 
何も無い私だから、過ぎ去ってしまう私だから
 
「南無阿弥陀仏」
 
 
それを伝える言葉。
 
決して私には、言えない言葉。
kenshi

夜長

秋の夜長に思い出すこと。
 
「けんし~早く飛び込めよ~」
 
小学生の頃、急に始まった遊び。
ただ、訳もなく川に飛び込む。
 
母校の小学校。脇に流れる川。
雨が降ると、増える水かさ、早まる流れに幼心に興奮した友達。
 
「飛び込もうぜ!」
 
いやな予感とともに、始まった遊び。ただ、訳もなく飛び込む。
 
生活用水が流れ、超汚い川。
でも、次々と飛び込んでは、笑顔で浮かび上がってくる友。
眺めていた、私。
 
早く終わらないかなぁ。
実はカナヅチな私。
 
いやな予感。
 
だいたいそれは的中するもの。
 
「けんし、早く飛び込めよ~。楽しいよ~」
 
根がかっこつけに出来ている私は、断れない。
 
ぐずぐずと、そわそわと、意を決して
 
どぼ~ん。
ぶくぶく。
 
川底に足が着いた。
もがくように水面へ。岸に辿り着く。
 
精一杯の笑顔で、
「楽しいじゃん!」
 
楽しくはない、。泣きそうな私。
 
 
 
ただ、不思議だった記憶。
水面は轟轟と流れが速く騒がしいのに、川底に足が着いたとき
 
「静かだった」こと。
 
川の表面はすごい速度で流れているのに
その底は流れていない。動かない静けさがある。
 
その動かない底、静けさがあるからこそ、川は流れ、海へと注ぐのかな。
 
私のいのちを想う
 
夜長。
kenshi
 

音は届いている

 
対岸の花火を眺めた。
空と対話するように、次々と花開いてゆく、大輪。
 
「ドン」
 
「パッ」
 
音が先ず届いてから、花開いてゆく花火。
 
私たちにも
音はもう既に、届いている。
 
あとは音に含まれる、いのちの大輪を咲かせるだけ。
 
南無阿弥陀仏の音。
 
耳を澄まそう。
kenshi

お父さん

 
年1回のお寺での子供合宿。
 
夜は、子供たちと雑魚寝。
本堂で寝る。
 
以前、こんな子供がいた。
私を何故か、「お父さん」と呼ぶ子。
 
「ちょっと似ているんだよ」
 
と、ずっとそばを離れない。
 
「でもね、お父さんの方がかっこいいんだよ。お父さんはね、釣りが上手なんだよ。背も高いんだ。料理も上手なんだ。お父さんはね・・・お父さんの方がね・・・・」
 
ずっとお父さん自慢。
 
大人気なくも、むっとする。
少しそっけなく扱っていると、夜。
 
「さっき、肝試しで怖かったんだ。そばで寝ていい?」
 
まだ少しわだかまりが残っていた私。
大人気ない間を作り、
 
「いいよ」
 
お父さん自慢が始まるかと思い、げんなりしていると、スッと寝てしまう。
 
しばらくして私も浅い眠りへ。
 
ゴソゴソ。
気配に目が覚める。
 
寝返りを繰り返し、私に抱きついた子供。
 
寝顔を少し眺めた。
スーっとその子の目から涙。
 
「お父さん」
一言言ってまた、寝てしまった。
 
「お父さんと1日離れてさみしかったんだな、悪かったな。朝、謝ろう。」
 
朝、何人か部活で帰る子を、申込み名簿にて確認。
 
その子の名前にふと目がとまる。
 
保護者の所に、女性の名前が書いてあった。
 
父親の不在を知った。
 
何も言えなかった。
 
「またね」と言って笑顔で帰ったあの子。
次の年から、来なかったなあ。
どうしてるかなあ。
 
やがて大人になって、お寺の門をくぐってほしい。
 
「ごめんだったね」
 
きっと覚えていないその子に、声をかけたい。
kenshi

万有引力

 
「万有引力は引き合う孤独の力である」 谷川俊太郎
 
私はフェリーが大好き。
デッキに出て、大海原の風に身を投じると、何か何もかも、取るに足らないことに思えてくる。
大きな新しい世界に来たような気がする。新しい自分になれるような気がする。
 
そのフェリーに乗り、宮島へ出かけたことがある。
目的は「アナゴ飯」
「うゑの」という名店を目指した。
 
うん、来てよかった。という味。
 
帰りのフェリーまで、まだ時間があった。
 
時間つぶしで入った水族館。
水槽を分け入っていくと、ドンつきの大きな水槽。
 
いた。
 
さっき食べたアナゴ。
 
大きな水槽の真ん中に、細い筒が2、3本。
その中に、うようよとアナゴはいた。
 
窮屈そうに、ひしめき合うようにして。
 
なぜだろう。
 
脇にあった説明文に目を遣る。
 
「・・・アナゴは自分では熱を生み出せないのです。お互いがお互いを暖めあっていないと、生きていけないのです・・・」
 
次の文にただ、佇んだ。
 
「筒から出てしまったあなごは、さみしくて、死んでしまうのです」
 
 
人間も同じ。
細い筒の中で、誰かと暖めあっていないと、ぬくもりを感じていないと、生きていけない。
引き合っていないと、生きていけない。
 
そんな生き物。
 
でも、やがて、さみしく筒から出るとき、そこに新しい世界が広がっていることに、気づく。
既に、自分が広い水槽の中にいたことに、初めて気づく。
 
そして、筒の中でさみしく引き合っている人間を見守り、伝え続ける。
 
「外には大きな世界があるよ。大丈夫だよ」
 
まだ見えないけれど、私たちのいのちの先には、広い世界。
生き死にを越えて、どこまでも引き合ってゆける、
 
そんな広い世界で、私たちはどこまでも、つながる。
 
孤独の力。
kenshi

100万回

 
ベタと言われようが、どうしようもなく好きなものがある。
 
「100万回生きたねこ」(佐野洋子作)
 
 
100万回、生き死にを繰り返してきた猫が主人公。
その100万回の別れを通し、彼を大切に育て、愛した飼い主は100万回泣く。
 
ただ、猫は泣かない。
ちっとも悲しくない。
 
何故、彼らが泣くのかが分からない。
愛を知らない。
 
 
飼い主のいない100万1回目の生。
 
「あなたが好き好き」
猫には沢山の縁が寄ってくる。
 
「俺は100万回も生きたんだぜ」
 
彼は全く興味を示さず、自己を誇示するばかり。
 
ある日、彼のもとに一匹の白い猫。
「俺は100万回も生きたんだぜ」
 
「そう」
 
興味を示さない白猫。
 
「俺は、100万回も・・・君はまだ、1回も生きおわっていないんだろ?」
 
「ええ」
 
「そばにいてもいいかな」
 
「ええ」
 
子猫が沢山生まれる。自分より好きなものに初めて出あう。
初めて猫は
「いつまでも生きていたい」と思う。
 
 
やがて、白猫が死んでしまう。
 
「えーん えーん」
猫は初めて泣く。白猫のそばで朝も晩も、100万回泣く。
 
そして白猫のそばで、静かに動かなくなる。
 
「ねこは もう けっして 生きかえりませんでした」
 
この物語は静かに終わる。
 
 
「100万回死んだねこ」 
 
ではなく
 
「100万回生きたねこ」
 
 
 
本当に大切なものに出あうことで
「生きること」が出来たという物語ではなく
 
本当に大切なものに出あうことで
「死ぬこと」が出来たという物語。
 
100万回、本当の意味で死ぬことが出来なかった猫が、
やっと死ぬことが出来たという、物語。
 
 
その、パラドックスが大好き。
 
 
 
お経の中の阿弥陀さまの物語は
 
100万回死ぬことが出来なかったかもしれない
 
私たちへの讃歌。
 
物語の最後のページ。
静かに芽吹く草花。
 
本当の意味で、死ぬことが出来る、安心。
kenshi

大地の子

 
何気なく流れてくる音楽に、映像が浮かぶことある。
 
昨夜テレビのバラエティ番組を見ていると、回想シーンにて流れてきた音楽。
 
その調べに、蘇る映像。
 
学生の頃、目標もなく、生きていることが面白くなくて、現実逃避。
学校にも行かず、夜通し映画ばかり見ていた日々。
そんな時、何気なくレンタルビデオで借り、むさぼる様に繰り返し見た、大好きなドラマ。
 
「大地の子」(NHKドラマ 山崎豊子原作)の3つのシーン。
 
 
中国残留孤児の主人公。
幼い時、中国にて生き別れた妹を広大な大地にて、探し続ける。
 
そして、30年ぶりに再会。
 
ただ、貧しい中国の農村に引き取られ、健気に、必死に働いてきた妹の体はボロボロ。
遂に2人に最後の時が訪れる。
 
当地の儀礼に従い、薄い死装束を着せられ死を待つ妹。
「お兄ちゃん、寒いよ。寒いよ」
 
兄は必死に妹を引き取った育ての母に呼びかける。
「お願いです、布団をかけさせて下さい」
 
母は言う。
「出来ない、布団の縫い目の数だけ、死後彼女には試練が訪れる。安心して死なせてやりたい」
涙ながらに言う。
 
妹の最後の言葉
「母を責めないで、私よりずっと苦労してきたの。お兄ちゃん」
 
「妹が死んでしまう、死んでしまう」
必死で体をさすり、ゆする兄の傍らで
やせこけた瞼より、一筋の涙がこぼれ、妹は死んでゆく。
 
 
 
主人公はやがて、実の父親と再会。日本への帰国もかない、亡き実母の仏壇に手を合わせる。
 
「日本へ帰ろう」
と呼びかける父と、主人公。並びあう布団で過ごす初めての夜。
 
主人公は言う。
「わからないのです。自分のことを育ててくれた中国の父母のことを思うと、、わからないのです。ただ、母のいる仏壇に手を合わせた時、今まで感じたことのない、安らぎがあったのです。」
 
2人に長い沈黙が訪れる。
 
 
 
ラストシーン。
広大な長江を渡る船上。
ガイドの案内の中、嬌声をあげる旅行者の背後で、佇む父子。
 
やがて、主人公が父に言う。
 
「大地の子・・・・・・私は大地の子です。この雄大な自然が私を育ててくれた。私は大地の子なのです」
主人公は日本に帰らないこと、すなわち父との別れを決意する。
何ともいえない父の表情の中、シーンが切り替わる。
 
この時の父(仲代達矢)の顔。忘れられない。
 
 
 
この3つのシーンに流れていた音楽。
 
 
 
バラエティの内容が、静かに通り過ぎてゆく。
 
そのやさしく雄大な調べに乗って、蘇る物語に、
 
理不尽な歴史に翻弄された人々のとんでもない苦悩と、
私たちに、みんなに、用意された、とんでもなく大きなもの。
 
 
いのちの大地に出あうことの大切さを思い出す。
kenshi

込められたもの

強豪国に勝った日本。
 
4年を思う。
 
そのたった90分に、選手は4年間の願いを込める。
 
その込められたものに、勝っても負けても、人は熱狂し、感動する。
 
1ヵ月に1回、ワールドカップがあれば、それは時間の
分だけ、多分薄まるだろう。
 
私のいのちに込められた。
せいぜいたった100年のいのちに込められた。
 
長い長い阿弥陀様の時間を想う。
 
ほんの一瞬の人生。
 
そこに込められたものに、もっと熱狂しよう。
kenshi
 

おじいちゃん

 
結婚した最愛の伴侶を若くして突然失い、いつもお墓に行っては泣いていたというおじいちゃん。
その後、新しいおばあちゃんと一緒だったおじいちゃん。
 
若い頃は、裸の写真が多いおじいちゃん。
 
少しナルシストだったのかな。
 
毎日3時に起きてウォーキング。6時からのお朝事を欠かさなかったおじいちゃん。
俳句を生きがいにしていたおじいちゃん。
 
それがいつもめんどくさかった私。
 
「わしの句碑をここに建てろ」と駄々をこねていたおじいちゃん。
 
70から重い帯状発疹で苦しんだおじいちゃん。
看護師さんにわがままを言っていたおじいちゃん。
玄関にいたアリに砂糖をあげていたおじいちゃん。
 
80でいっこく堂をテレビで見て腹話術を始めたおじいちゃん。
テレフォン法話を急に始めたおじいちゃん。
腹話術の人形といつも一緒。その名も丹君。
見るに耐えない腹話術を惜しげもなく得意そうに披露するおじいちゃん。
 
それが恥ずかしかった私。
 
テレフォン法話も「丹君」と一緒だったおじいちゃん。
 
孤独だったのかな。
 
幼い頃、「じいじい」と、いつもついていった私。
波子の海岸。
俳句を作るおじいちゃんの横顔。
 
亡くなる間際、父を呼びこう言ったおじいちゃん。
 
「紹隆、わしはお浄土に行ったら今よりずっと、忙しくなるからのお」
 
おじいちゃんの句碑を前に、
大好きだったおじいちゃんを思い出す。
 
「おじいちゃん、俳句してるよ。楽しいよ。」
 
今年10月30日。
おじいちゃんの17回忌。おばあちゃんの7回忌。
kenshi

たまねぎ

 
「人間はたまねぎみたいなもんですなあ」
 
そんなことをテレビで学者が言っていた。
 
「本当のたまねぎはどこにあるんだろう」
と、中心に向けて皮をめくっていくと、何も無くなってしまう。
本当のたまねぎはない。
 
あるのは皮だけ。
 
皮で出来ているたまねぎ。
 
「本当の自分はどこにあるんだろう」
と私の存在をめくっていっても、何も無い。
 
あるのは、縁だけ。
 
縁で出来ている私。
kenshi

杜子春

 
芥川龍之介の大好きな短編。
「杜子春」
 
唐の都、洛陽。
西の門に佇む男、杜子春。
 
彼は裕福な家庭に育ったが、父母の死後放蕩を重ね、無一文。
彼の相手をするものは誰もいない。
「もう死んでしまおう」
 
すると鉄冠子という仙人がふらっと現れる。
 
「地面にあるお前の影の頭のところを掘ってみるがよい」
 
掘ってみると、ザックザックと黄金が。
彼は一夜にして洛陽で一番の大金持ちに。
 
杜子春は、贅沢三昧。
人がわんさとと寄ってくる。
 
しかし3年後、あっという間に無一文に。
彼のもとを訪ねるものは、誰もいない。
 
再び洛陽の西門の前、佇む杜子春。
「今度こそ、死んでしまおう」
 
再び鉄冠子が現れる。
「地面にあるお前の影の胸のところを掘ってみるがよい」
再び杜子春は洛陽で一番の大金持ちに。
 
同じ事を繰り返す。
 
再び洛陽の西門の前。
鉄冠子が現れる。
 
「地面にあるお前の影の・・・」
 
杜子春は言う。
「いや、もうお金はいりません。人間に愛想がつきました。私はあなたのような立派な仙人になりたいのです」
 
「わかった」
鉄冠子は竹を拾い、杜子春を乗せてひとっ飛び。
峨眉山という山の頂へ。
 
「杜子春よ、わしは天上にいる偉い仙人にお伺いを立ててくる。お前はここに残れ。ただ1つだけ約束。絶対に何があっても口を開いてはならぬ」
 
ふっと消える鉄冠子。
残された杜子春。
 
次々と杜子春の口を開かせようとする魔物が現れる。
「お前は何故ここにいる、言わないとひどい目に遭わせるぞ」
 
鉄冠子との約束を胸に決して口を開かない杜子春。
 
すると、見るも恐ろしい鎧を纏った兵士が現れ
「お前は何故ここにいる。言わないと、こうだ!」
 
大きな刀が杜子春を貫く。
 
杜子春は力尽き、地獄へ落ちてゆく。落ちてゆく。
そこに待っていたのは閻魔大王。
「お前は何故口を開かないのだ」
彼はありとあらゆる地獄の責めを受ける。
 
しかし彼は歯を食いしばり、決して口を開かない。
すると目の前にやせ細った馬が2匹現れる。
 
杜子春はその2頭の馬の顔を見て、激しく動揺する。
先立った父母の顔がそこにあった。
 
「こうしても、お前は口を開かないか」
閻魔大王は鬼に命じ、激しく馬を鞭打つ。
皮が次々と剥がれ、血が飛び散る。
 
杜子春は目を閉じ、必死に鉄冠子との約束を思い出す。
 
すると声にもならないような声。
母親の声。
 
「心配をおしではない。お前がしあわせになれば、私たちはどうなってもいいから、言いたくないことは黙っておいで」
 
杜子春の眼からは涙がはらはらと。母親のもとへよろめきながら走り寄る。
 
両手に首を抱き、ついに口を開く。
 
「お母さん」
 
すると不思議なことに、はつと気づくと杜子春は洛陽の西門の前。
鉄冠子が言う。
 
「お前はどうしたいのだ」
 
「私はただ、人間らしく暮らしたいと思います」
 
「そうか、今思い出したが、私はあの山の麓に一軒の家と畑を持っている。そこで暮らすがよい」
 
そう言葉を残し、鉄冠子、去ってゆく。
 
そんな話。
 
お金持ちになりたい、偉くなりたい。
そんな願いに惑わされ、人間の心を失った男。
 
大切な言葉に出会い、人間に戻った愚かな男。
 
「そのままのあなたでいいのよ」
 
杜子春の口をついに開かせた親の声。
自分よりも子のことを心配する親の声。
 
杜子春と母親。
私と、阿弥陀さまを思う。
kenshi
 

流れ星

 
「流れ星を見たら、願い事をするのよ。」
そんな言葉がずっと、意味がわからなかった。
 
何故、落ちてゆくものに、願い事をするの?
 
 
『よだかの星』
 
醜いよだかという鳥の物語。
 
いつもその容姿のせいで、鷹にひどくいじめられている。
嫌になる。
 
ある日、自分の口の中に飛び込んできた虫を、よだかは思わず食べてしまう。
 
「ああ、僕も一緒だ。弱いものを毎日殺し、そしてあの鷹に僕はいつかころされてしまう。こんなところはもう嫌だ」
 
よだかは夜空へ飛び立つ。
太陽へ、オリオンへ。
 
「ここに僕をおいてください」
 
懇願する醜いよだかを、だれも受け入れてくれない。
 
よだかはそれでも、飛び立つ。
しかし、ついに、力尽きる。
 
落ちてゆく。落ちてゆく。
 
しかし、地につかんとしたそ刹那。
彼は、再び何故か舞い上がる。
不思議な力で舞い上がる。
 
のぼってゆく。
 
くちばしは寒さで凍り、羽根も固まってしまう。
 
しかしよだかはたしかに、少し笑っていた。
よだかの最期。
 
やがて、よだかは目を開ける。
よだかは燃えていた、夜空に煌々と燃えていた。
 
そんな話。
 
力尽きて、落ちてゆくよだかを舞い上がらせて、星にさせたものは何だったのか。
 
自分が嫌になり、落ちてゆくものを、捨てないもの。
 
『よだかの星』に出会い
最期のよだかの笑みに
 
流れ星に願い事をする意味が、今は少し分かるような気持ち。
kenshi

おっぱい良好でした

 
ある女性の記事を読んだ。
かわいい鬼の絵を描くことを生業にしておられる方。
 
その方は、2歳で母親に捨てられ、児童養護施設へ。
 
親に捨てられた穴を抱え、幼年期を過ごす。
16歳で施設を飛び出し、社会へ。
 
結婚をする。
 
しかしうまくいかない。
どうしても相手を愛せない。
 
やがて離婚。
 
いつしか彼女は一心に恐ろしい鬼の絵を描くようになる。
それが生業に。
 
ある日、彼女はかつて過ごした児童養護施設をふらっと訪ねる。
彼女のことを覚えている先生と再会。
 
「こんなものが出てきたのよ」
 
そう言って先生が持ってきたもの。
 
母子手帳。
そこに書かれていた一言。
 
「おっぱい良好でした」
 
彼女はその言葉に救われる。
 
「お母さんは、私を愛してくれていたんだ・・」
「私は母のおっぱいに抱かれていたんだ・・」
 
彼女の描く鬼は、いつしかかわいい、笑顔の鬼に。
 
全然覚えていないけれど
 
私たちはみんな、愛されている。育てられている。
 
はるかなる過去より。
私より私を想って下さる、「阿弥陀」という仏さまに。
kenshi
 

お風呂

 
こんなことがあった。
 
子が小さい頃、お風呂になかなか入ってくれない。
父親である私が、真向きに抱きかかえて、顔を見て、お風呂に入れようとする。
「大丈夫だからね」
言葉がむなしく響き、私の顔を見て、子は泣くばかり。
 
ある日、母親がお風呂に入れた。
大丈夫かな、とそっと覗いてみると、子は泣いていない。
そのままお風呂へチャポン。子は笑っていた。
 
彼女がしていたこと。
 
子供を抱き上げ、自分の姿が見えないほど、ぎゅっと抱き寄せ、手で子の目をふさぎ、そのまま一緒にお風呂へ。
 
それだけ。
 
子は親の姿が見えなくても、抱かれたぬくもりさえ伝われば、安心するんだ。
 
私たちがお浄土に参るとは、こんなことかもしれない。
 
近すぎてお姿は見えないけど、恐怖でおびえる私をずっとぎゅっと抱き寄せて下さっている
 
そんなお方と一緒に。
kenshi

響きあう

 
ウミネコという鳥がいる。
 
沢山のウミネコが1度に1つの場所に卵を産むらしい。
 
そして一斉に孵化。生まれる。
何千もの卵が一斉に割れる。
 
不思議な話。
 
生まれたウミネコは、自分の親を間違えず、
生んだウミネコは、自分の子を間違えないとの事。
 
1000分の1の確率を決して違えないとの事。
 
何故か。
 
卵を産んだ親鳥は、何度も自分の卵に戻っては
「みゃ~みゃ~」
呼び続けるのだそう。
 
その声が卵を通じ、響きとなって子に伝わる。
 
子は、その響きを忘れない。覚えている。
卵が割れ、広がる大きな空と自分を呼ぶ沢山の声。
記憶の呼び声に導かれ、ウミネコは本当の親のもとへ。
 
呼び声が共鳴し合い、本当の親子が出会っていく。
 
その姿に、まだ生まれない私を思う。
私を呼んでくださる本当の親の声。いのちの声を思う。
 
「南無阿弥陀仏」
その響きに導かれ、私はいつの間にか、生まれる。
kenshi

 
「僕は透明な存在だった」
かつて、凶悪な犯罪を犯した男性が語った言葉。
 
新潟の小2児童のいのちを奪った疑いの、23歳の男性。
 
彼の心の底の闇、そこにあったもの。
 
「誰か僕に色を下さい」
 
彼の帰る場所は、家ではなく、警察署だった。
 
そこで浮かべた笑みのようなもの。
「僕は透明ではなかった」
 
彼に存在を与える場所が、色をつける場所が、
 
お寺ではなく、お仏壇ではなく
 
警察署だったこと。
 
宗教者として、自戒を込めて、悲しいニュースを見つめる。
kenshi

見つけて

 
『最大の病はハンセン病で癌や結核なのではありません。それは誰にも必要とされず、誰にも気に留めてもらえず、すべての人から見捨てられているという、孤独です』マザーテレサ
 
 
子供の頃は、わけの分からないことをするもの。
 
小学生の時、流行ったもの。
「隠れ家」作り。
 
近所の子供であつまり、森に分け入りせっせと木や枝や蔦を集めては、手作りの空間を作った。
完成した誰にも見つからないそこにいると、何か違う世界にやってきたようでワクワク。
 
リーダー格の上級生の提案で、ある日お寺の境内に隠れ家を製作することに。
根が不器用にできている私は、申し訳程度にお手伝い。
器用に蔦で木を繋ぎ、曲がりなりにも空間をつむぎ出していく実家が大工の上級生。誰よりもかっこよく見えた。
 
完成。
お寺の境内にあることで、もはや「隠れ家」とはいえないのであるが、「明日、10時に集合な!」というリーダーの掛け声の中解散。
 
夜、ざ~っ、ごうごうという音。強い風雨の中、目を閉じた。
 
10時、意気揚々と外へ出てみると、小さな背中が集まっていた。
誰も口を開かない。抜けるような青空の中、そこだけ透明。
 
「片付けようぜ」
リーダーの小さな言葉に時が動き出す。
 
僕たちの隠れ家は、崩壊。
森に帰りたいとばかりにただの素材へと戻っていた。
 
 
最近、新聞で読んだ記事。
「かくれんぼ」が出来ない子供が増えているという。
鬼が近づいてくると、自分から「ばあ!」と出てきてしまう子供が増えて、かくれんぼにならないのだそう。
 
社会のつながりが薄れ、隠れることが怖くなる子供が増えている。
「誰も自分を見つけてくれないんではないか」
そんな日常に、不安に、かくれんぼの楽しさ、意味がわからなくなる寂しさ。
 
かくれんぼは、安心して帰れる場所があるから、楽しい。
誰も自分を見つけてくれなくても、家に帰れば自分を宛先とするまなざしがある。その、まなざしがないと、人は駄目なのだ。
 
「お寺の境内に「隠れ家」を作ろう!」と言ったあの時のリーダーの言葉を思い出す。
それは、隠れ疲れたリーダの言葉だったのかもしれない、とふと思う。
 
人生に隠れ家はいらない。
どこへいっても、そこは阿弥陀様の家なのだから。
胸の中なのだから。
kenshi

やさしいもの

 
花がすっかり散ってしまった。
風に揺られ、雨に打たれ、雪にさらされ、咲ききったものが落ちてゆく。
 
大地に集まる花を見ると、ふとよかったね、と思う。
 
ゆらゆらと、安定しない枝先から
動かない大地へ、花は落ちる。
 
いや、落ちているのではない。
移動しているのだ。
 
安心できる場所へ。
 
「ばら」
花びらが散ると そこに
花びらのかたちの なにかやさしいものが
あつまるように 思われる
 
作者は忘れたが、こんな詩を思い出す。
kenshi

相合傘濡れてる方が惚れている

 
「相合傘濡れてる方が惚れている」
 
こんな川柳に出あった。
 
相手を濡らすまいとする心。
それが傘の傾きとなってあらわれる。
 
浮かぶほほえましい情景に、ほっとした。
 
阿弥陀さまと私。
 
阿弥陀様は、私が悲しみや孤独の雨に打たれないように、
「新しい傘を作りなさい。そうしたら濡れませんよ」
とは、仰らない。
 
「私の傘に入りなさい」
とご一緒して下さる。
そして、私の方へ傘を傾けて、ご自分は濡れていらっしゃる。
 
こんな私を愛でて、無常の雨を一緒に歩いてくださる。
 
阿弥陀さまが私のために濡れていらっしゃることを、忘れないようにしよう。
 
大悲のお心。
 
人生は阿弥陀様との相合傘。
kenshi
 

愚者=賢者

 
本日の言葉。
 
自分を疑うこと、愚かになること。
賢くなるより、実は難しいこと。
 
愚者=賢者
 
教えられる朝。
kenshi

下山の先

 
アルピニストの野口健さん。
 
「登山で一番危険なのは、下山するときなのですよ」
 
頂上を極めた達成感を一歩一歩捨てていく下山。
そこに隙間が、油断が生まれる。
植村直巳もマッキンリーの下山に消えた。
 
ある日野口さん、下山の途中で雪崩に遭う。
あっという間に消えていく視界になすすべが無い。
失いゆく意識の中で、必死に手を伸ばす。
 
手の先に小さな光が見え、小さな空が見えた。
彼は助かる。
 
その小さな光を、そして雪上に出て感じた「いのち」を絶対に忘れない。
そう語っておられた。
 
私たちは今、下山中。
いのちを得た、人間として生まれた、人生のその達成感を一歩一歩手放していく、下山中。
 
人生は登山ではない。
オギャーと生まれた時が頂。
あとは、下るのみ。
 
そして、下っていく道中にいつもある光。空。
下るしかないいのちをいつも抱くもの。
それを忘れてはならない。
 
浄土。
下ってゆく先に、いつもある世界。
人生を包むもの。
 
「いのち」とは、そこに包まれること。
kenshi
 

何もない

 
言葉。
 
私が発明した言葉は、ひとつもない。
みんないただきもの。
 
体。
 
私が作ったものはひとつもない。
みんないただきもの。
 
いのち。
 
私が自分で生まれたのではない。
みんないただきもの。
 
私のものって何もない。
 
私って何だろう。
kenshi
 

込められたもの

 
「五劫」・・一里(約4km)四方の大岩石を、三年に一度天女が羽衣の袖で撫で、磨耗して岩石が無くなる時間を一劫。その五倍。
果てしない時間。
 
 
オリンピックを見る。
選手が輝く一瞬。そこには4年間の願いが込められている。
「輝きたい」という心を、その一瞬に込める。
勝っても、負けても、その心は輝く。
 
 
わたしのいのちを思う。
私の一瞬の人生。そこには、阿弥陀様の五劫の願いが込められている。
「輝いて欲しい」という心を、その一瞬に込められた。
 
自分が輝くためではない。
力なく終わる、私のいのち。
そこを「引き受ける」為に、阿弥陀様は込められた。
 
「みんな輝いて欲しい」
 
みんな(私)のいのちに込められたもの。
そこに出あう為に、私たちは生まれた。
kenshi

誰も僕を追いかけてくれないんだ

 
「阿弥陀様を追い求めて救われるのではなく、阿弥陀様に追い求められて救われる」
 
こんな言葉に出あった。
 
 
お寺の子供合宿でのこと。
 
集合時間、子供が続々と本堂に集まってくる。
受付を済ませ、荷物をポイっと投げ捨てて、始まるもの。
 
一人が一人を追いかけ始め、その輪が広がっていく。
「鬼ごっこ」
 
横目に、お荘厳を済ませ、「ピーッ」と集合の笛を吹こうと、咥えると。
目に入ったもの。
 
その喧騒の真ん中でうずくまり、ひざを抱えシクシクと泣いている男の子。
 
「鬼になっちゃったかな、意地悪されたかな」
と近寄り、言葉をかける。
 
「どうしたの?」
 
返ってきた、意外な言葉。
 
「誰も僕を追いかけてくれないんだ」
 
一瞬、言葉を失う。
 
この子は鬼になって泣いているのではない。
意地悪をされて、泣いているのではない。
 
自分に無関心な、みんなに泣いているんだ。
自分に無関心な、喧騒に泣いているんだ。
静かで、さみしくて。
 
 
「追いかけてほしい」
ただ、それだけの願いを持って、さめざめと泣く男の子の小さな背中をさすりながら、
 
「阿弥陀さまは追いかけてくれているよ、いつも君を追い求めてくれているよ。ひとりじゃないよ」
 
言えなかった日のことを思い出す。
kenshi
 

おかしな私

 
「おかしな形には おかしな形なりに 均衡があって 
 それがみんなにとって しあわせな形ということも
 あるんじゃないかなぁ」
 
向田邦子さんの言葉。
 
おかしな私。
 
それがだれかにとってしあわせな形であれば
 
おかしなままがいい。
 
 
 
 
おかしな私。
でこぼこな形。
 
それを、削ってまるくするのではなく
そのまま、ま~るく包んでくれるもの。
 
「南無阿弥陀仏」
 
そんな丸さを、大きさを、私は決して持てない。
 
おかしな私に、下を向く。
kenshi

ちからなくしてをわるとき

 
昨年末、一番末の弟の義父が往生した。
今治常高寺住職。68歳。
 
11月28日、報恩講にて最後の法話。
 
「なんまんだぶ なんまんだぶ
  私は呉の正圓寺に生まれました。
 なんまんだぶ なんまんだぶ
  二十九歳で常高寺に入寺しました。
 なんまんだぶ なんまんだぶ
  子供二人を恵まれました。
 なんまんだぶ なんまんだぶ
  立派な副住職を迎えることが出来ました。
 なんまんだぶ なんまんだぶ
  可愛い孫たちにも会えました
  煩悩が残ります。こまったな。
  もう時間がありません。
 なんまんだぶ なんまんだぶ
  ご門徒の皆さまにお礼とお別れを申す時がもてました。
  有難いな もったいないな
 なんまんだぶ なんまんだぶ
  ただ ただ お礼を申すばかりです」
 
 
「煩悩が残ります。こまったな」
涙がでる。
 
「なんまんだぶ なんまんだぶ」
そのリフレインに、胸がいっぱいになる。
 
『なごりをしくおもへども、娑婆の縁尽きて、ちからなくしてをわるとき、かの土へはまゐるべきなり』
 
歎異鈔のおことば。
 
みんな、後悔を残して、力なく終わる。
わたしも、きっとそう。
 
だからこそ
 
「なんまんだぶ なんまんだぶ」
 
阿弥陀様は届いてくださる。
 
空っぽで終わるしかない、私のいのちを
満たし、あふれて下さる永遠のことば。
 
「なんまんだぶ なんまんだぶ」
 
 
お義父さんの願いいっぱいに、本年10月。
弟の継職法要。
kenshi

さようなら

 
「さようなら」
人はこう言葉を交わし、別れる。
 
「さようなら」は、「左様であるならば」という言葉に由来する。
 
なぜ、人はさようなら、と別れるのか。
 
それはきっと、その別れを「左様であるならば」と包む、
準備されたものに出あう為。
 
どうあっても別れなければならない
私のために用意されたもの。
 
お浄土。
また、出あえる。
 
さようならは、別れの言葉ではない。
 
出あいの言葉。
kenshi

ネルソンさん

 
阿弥陀さまのおこころ。
大きな悲しみと示される。
 
「大悲」
 
悲しいの非は「親鳥が羽根を千切れんばかりに広げている様子」
そんなおこころ。
 
アラン・ネルソンという方がいる。
ベトナム戦争に従軍し、その殺戮の日々を終え帰還。
過酷な記憶に苛まれ、ついに心を病んでしまう。
 
そんな中、ひとつの依頼が舞い込んでくる。
 
「ベトナム戦争の体験を話して欲しい」
 
小学校4年生の教室。
彼は、そのキラキラとしたまなざしを前に、ただ立ち尽くす。
言葉が出てこない。
 
すると一番前に座っていた女の子が、こんな質問をする。
 
「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか」
 
ネルソンの中に、蘇るもの。
汗が吹き出し、目を閉じる。
 
「イエス」
 
すると、苦しそうに立ち尽くすネルソンにそっと近づき、ただ抱きしめ、涙を流しながら女の子が言う。
 
「かわいそうなネルソンさん」
 
その瞬間、大粒の涙がネルソンからもこぼれ落ちた。
自分の過去を呪い、絶望の中を生きてきたネルソンにとって、一人の少女の涙、言葉は自分を包み込んでくれる無条件のやさしさだった。
 
ネルソンは悪人の自分をごまかして生きることを、やめる。
 
ネルソンは、一粒の涙、一言の言葉に救われた。
落ちてゆく自分の底に、「悲しみ」の姿。
自分を受け止めようと羽根を千切れんばかりに広げる姿を見たのであろう。
 
私たちの悲しみには底がある。
 
そしてその底にこそ、無条件の懐がある。
 
醜い私の底にある、そのおこころ。
私をどうあっても受け止める、そのおこころ。
 
そのおこころをいただくことを、
「信心」というのだろう。
kenshi

座右の銘

 
新聞の片隅に見つけた。
 
「+(プラス)は-(マイナス)から書き始める」
 
私の人生に
大切な言葉が、またひとつ。
kenshi

いま

 
太宰治「女生徒」
 
「いま、という瞬間は、面白い。いま、いま、いま、と指でおさえているうちにも、いま、は遠くに飛び去って、あたらしい、『いま』が来ている。・・・私は少し幸福すぎるのかも知れない」
 
太宰治の
永遠へのあこがれ。
 
いま、は巡り来る。
 
永遠は、そのいま・いまと続く時間の先にあるのではなく
永遠は、実はその「いま」「いま」にひらけている。
 
「いま」は一瞬のはかない一点ではなく
「いま」こそが永遠への入り口。
 
人生とは、いつでも、永遠に包まれる時間。
 
そこに出あいたくて、出あえなかった
 
太宰の38年。
kenshi

パラドックス

 
爆弾を抱えさせられて、敵地へ送り込まれる子供がいる。
異教徒のもとにたどり着いたとき、遠くで起爆装置が押される。
 
ジハード(聖戦)という宗教的正義のもと、子供は救われた。
天国に行ける。
 
安全地帯で起爆装置を押した彼にある心。
「救ってあげた」
 
そんな、正義が、この世界にはある。
 
 
人間に人間は救えない。
 
 
先日、宮崎へ母と向かった。
祖母が、病床でいのち終えようとしていた。
 
鹿児島中央駅よりのタクシー。
「これを聞かせてあげたい」とスマートフォン。
子供の唱える礼讃文。動画。
 
握り締める手が震え、電話が鳴った。
 
ベッドにたどり着き、母と交代で手を握った。
「間に合わなかった」
 
と、思った。
それでも、と思い子の声を耳元に。
 
「われいまさいわいにまことのみのりをきいて・・・」
 
涙がこぼれた。
 
「南無阿弥陀仏」
子の声が途切れたとき、その場に一斉に届いた声。
 
「間に合った」
 
 
人間に人間は救えない。
だからこそ、人間は、私たちは救われる。
 
そんなパラドックスにこそ、宗教の本当のあたたかさがある。
まだあたたかいおばあちゃんの手を感じながら。
kenshi
 

還ってくる

田中美礼さんという26才のバレーダンサー。
 
故郷である津和野町に帰り、バレーの指導を続けておられるとの、ニュースを見た。
 
オーストラリア・イタリアと、世界的に活躍された方。
 
「故郷である津和野から、世界を見つめられるバレーダンサーが生まれて欲しい」
 
と夢を語られる。
 
教え子の中学生。将来の夢は?と問われ、
「世界で活躍出来るバレーダンサーになりたいです」
 
すごいな、と思いチャンネルを変えようとすると、
 
その後に
「美礼先生のように、故郷に帰り指導者になりたいです」
 
その言葉に釘づけとなる。
 
自分の成功だけを夢見るのではなく、自分を通し、誰かにしあわせになってほしい。そんな想い。
大きな世界にはばたくだけではなく、小さな世界でもがく人にしあわせを与えたい。
 
そんな仏さまのような心を、美礼さんの夢は与えておられる。
 
本当の意味で一流の方は、自分だけのしあわせを考えない。
 
学ぶ。
kenshi

この善太郎

「この善太郎」
 
善太郎さんが大切にされた言葉。
 
この善太郎だから、救われる
のではなく
 
この善太郎ですら、救われる
 
そんなよろこび。
 
 
みんなが救われるから、私が救われる
のではなく
 
こんな私ですら、救われるのだから、みんなも救われる
 
そんなよろこび。
 
 
善太郎さんはそれを、いのちがけで伝え続けた。
 
 
私も、そうありたい。
kenshi
 

誕生日

 
先日出あった、お通夜での喪主のご挨拶。
 
ちょうど72歳の誕生日にお亡くなりになった方。
喪主は40代の娘さん。
 
「これからは命日に、毎年誕生日のお祝いをしたいと思います」
 
思いがけない言葉に、ほんわか、じーんと胸が熱くなる。
 
 
人間には、3回の誕生日がある。
 
思いがけず、奇跡的に人間に生まれた日。
仏法に出あい、人生に方向が生まれた日。
そして、人間のいのち終える日。
 
去りゆくいのち、燃え尽きるいのち、消えゆくいのち
 
ではなく、命日は阿弥陀さまの国への誕生日。
 
太宰治の好きな短編。
「ダス・ゲマイネ」の冒頭、こんな言葉がある。
 
『節度のない恋をした・・・・25歳、私はいま生まれた』
 
恋をすると、それまでの景色ががらりと輝き、日常が新しくなる。
あたらしいいのちを、いただく。
 
お通夜。
亡き人の誕生日から、私のあたらしいいのちをいただく日。
 
仏法に出あう日。
2回目の誕生日。
                                                                                kenshi
 
                               
 

ポイントカード

いつのまにか、財布が厚くなる。
 
ポイントカード。
 
あらゆるお店で、いただく。
そこに生まれる、一喜一憂。
 
親鸞さまの教え。
 
私たちにポイントカードはない教え。
 
私たちが集めるべきポイントを
集めてくださった方に出あう教え。
 
阿弥陀様のポイントカードをいただいてゆく教え。
 
どうあってもいのちのポイントを集めることが出来ない
 
愚かで、無力な私に、出あう教え。
 
私のいのちの財布は、阿弥陀さまにいただく
「南無阿弥陀仏」
 
それで、充分。
kenshi

へその緒

 
手を合わせる姿。
 
合わせる手は、へその緒だと思う。
 
ここで、見えない、大いなる方と繋がる。
その方は、私をいつも呼び、育ててくれている。
 
私が生まれた訳。それはわからない。覚えていない。
でも、大人になり、親となり、思う。
 
みんなへその緒を通じ育てられ、知らず知らず、人間になった。
 
「安心して生まれておいで」
 
合わせる手は、へその緒。
今、知らない間に、阿弥陀さまの声、願いと繋がり、
 
育てられる、私。
 
生まれゆく、私
kenshi
 
 
 
 

「ピカソ」(学生時代の恥ずかしい原稿)

Pablo Picasso
 
 
パブロ・ピカソ、「天才」「20世紀を代表する画家」「世界の巨匠」「変人」「狂人」「デタラメ」「ペテン師」・・など、現在彼を形容する言葉には賛否両論枚挙に暇がないが、彼の画家としての、又ひとりの人間としての生涯とは一体どのようなものだったのだろうか。その生涯を「少年時代」「青の時代」「ピンクの時代」「キュビズム」「キュビズム以降」と大きく区分し、主な作品群とともに紐解いていこうと思う。
         
「少年時代」
ピカソは1881年10月25日南スペインの町マラガに生を受けた。12歳の時画家であった父よりパレットと絵筆と絵の具を引き継いだ彼はすぐにその非凡な才能を開花し始める。後年ピカソは言う。「僕は子供のデッサンというのは書いたことがない。12歳でラファエロみたいにデッサンしたよ」と。美術の教職についていた父のもと恵まれた環境の中で絵を描き続けた彼は14歳のときバルセロナに移りラ・ロンハ美術学校の上級クラスに合格。その際一ヶ月の猶予がある試験を一日のうちに仕上げ「神童」と呼ばれる。彼は様々な絵画を見、吸収しその才能をいかんなく発揮し、ついには16歳のときマドリッドの王立アカデミーに入学を許されるのである。しかしこのことは彼の満足いくところではなかった。彼の心はいつまでも美術館の中のベラスケス、エル・グレコ、ルーベンス、ヴァン・ダイクなどの巨匠の作品の中にあり、次第に美術学校におけるアカデミズム、父の影響から離れていくのである。こうして彼の自由への渇望、魂の放浪の日々が始まるのである。バルセロナ、マドリッド、オルタなど転々とした生活の中、彼はそのクリエイティビティをさらに磨いていき、1900年パリ万国博覧会出品の「最期の時」とともについにフランスの都へと旅立つのだった。そこでの生活の中、ようやく自由の意味を見出したピカソは家族との別れを決意する。故郷マラガに戻って家族と過ごし、その保守的な体面と自分の望んでいる生き方の間に決定的な隔たりがあることを確認した後、彼の作風は「青の時代」へと向かっていく。         
          
「青の時代」
「ピカソは苦しみこそが人生の根本にあると信じている」と友人でその伝記を書いたハイメ・サバルテスは述べているが、「青衣の女」「アルルカン」「自画像」「ラ・ヴィ」などの作品に代表される1901年より1904年までのこの時代はピカソ自身の困窮や、親友を失った孤独、祖国を失った喪失感などに反映された作風であった。道化や娼婦、貧しいものが主題として描かれ、青という色は見るものの苦しみの感覚を高めている。「自画像」におけるピカソは20歳には到底見えず、その悲しさと貧しさと孤独を一層ひきたたせている。
          
「ピンクの時代」
1904年、ピカソはパリに永住することを決意する。このころより彼の作風が徐々に変化し始める。青からピンクへの色の変遷である。「猿のいる軽業師の風景」はその過渡期における最も重要な作品であるといわれるがその中でもピカソの青は完全には消えていない。当時ピカソは美しいフェルナンド・オリビエと暮らし、一人の養女がいたが父親になりきれない彼の苦悩がそのピンクの中の青にあらわれている。その後生活の安定とともに「カナルス婦人の肖像」「ガートルード・スタインの肖像」などピンクを基調とした作品を残したが少々のマンネリ感は否めない。
          
「キュビズム」
1907年より1916年に起こった極めて改革的な運動であり、ルネサンス以来西洋の美術を支配したリアリズムを批判し、現実の対象や空間に対する視覚と認識の仕方を問い直すことをその基本としたものであった。この中でピカソは非常に大きな役割を果たす。自分の学んできた西洋美術の伝統の外側に未知の世界があることを予感した彼はイベリア半島の古い彫刻、アフリカの黒人彫刻、マチス、セザンヌなどにヒントを得て、険しい仮面と荒削りな形態感をもつ裸婦たちがポーズする挑発的な大作「アビニョンの娘」を生み出す。この絵を見た人々はその想像力の飛躍、大きく動く絵筆、様々な視点から描かれる娼婦、気味の悪い仮面を理解できず、ピカソは狂ってしまったとまでつぶやいた。しかし、この作品こそ立体派の始まりをなす作品であり、影響を受けたジョルジュ・ブラックらと共に画期的な作品を世に送り出していく。ここで興味深いのがこのキュビズムの長きにわたり彼の作風が変化しなかったということである。彼は変化し続ける画家であった。それは誰かの影響であったり、精神的なものに起因するものであったが、この時期1908年の「橋のある風景」から1913年の「バイオリン」に至るまでその作風は全く首尾一貫している。何故か。それは彼がこの時期キュビズムといういわば目的を持った一集団に属していたからであろう。彼が苛まれ続けた孤独感から一瞬抜け出すことができた唯一の安定期といえるかもしれない。
         
「キュビズム以降」
1916年キュビズムが終わりをつげ、ピカソはまた孤独な異邦人となった。しかしそのことが彼の作品に更なる飛躍を与えた。対象を分解し、画面から主題を取り去ったキュビズムの時代から、ピカソは一気に画面にモチーフを蘇らせたのだ。彼はいよいよ線一本、形一つで何でもできるといわれたその魔術師的な才能を発揮し始めるのである。新しい彼の絵の中には、少しづつそれまで見たことのないような新しい様式が現れてくる。1921年における「水浴する女たち」では1910年以前では不可能であった視点で女が描かれている。彼はキュビズムをもっと独特な形で応用しようとしていた。
1921年「大きい浴女」1922年「海辺を駆ける二人の女」など一見バランスのおかしい手足を持つ大女を独特な技法で描き、1923年「アルルカン」1924年「アルルカンに扮したパウロ」において絵画における非現実性を表現する。そしてその後1925年「ダンス」に端を発して彼の作品はいよいよ劇的な変化をとげる。そこでは人間のフォルムさえバラバラにされることとなり、暴力的でさえある。そこには満たされないピカソの怒りがあり、渇望がある。又ここで忘れてはならないのがマリー・テレーズの存在である。ブラッサイはマリー・テレーズとの出会い以降の彼の作風をこう述べている。「ピカソの絵のすべてが波打ち始めた。・・中略・・彼の生涯においてこの時ほどに彼の絵画が波打ち、うねうねとした曲線に覆われ、腕は輪をなし、髪は渦を巻いたことはなかった。」と。彼は彼女をモデルとした「夢」「闘牛」「庭の裸婦」などの作品を数え切れないほど残した。しかしマリー・テレーズは彼に深い愛情とともに絶望的な苦悩も与えることとなる。マリーとの間に子供のできたピカソは当時妻であったオルガとの離婚、子供との離別という最悪の経験をすることとなり、彼の絶望はこの1935年絵を描くことを一時やめてしまったくらい大きなものであった。その愛と義務の狭間で揺れる彼の心情は1936年「洞窟の前のミノタロウスと死んだ牝馬」の中で垣間見ることができる。そんな中1936年スペイン内戦が起こる。ピカソはそれに激しく動揺し、1937年バスク地方のゲルニカが爆撃を受けた際声明を発表する。「スペインの戦争は、人民と自由に対する反動の戦いである。私の芸術家としての人生は、すべて反動と芸術の死に対するひとつの接続的な闘いに他ならなかった。私が現在制作しているゲルニカという題名にする予定の大作、ならびに近作のすべてにおいて、私はスペインを死と悲しみの海に沈めた軍部に対する恐怖を明確に表現した」。かくして「ゲルニカ」は生まれた。 
黒と白のみで描かれたこの絵はひとつのシンボルとなった。「ゲルニカ」は巨大な叫びである。どの顔も口を大きく開いている。例外は、目撃者の女と牡牛だけで、それらは顔を上方に向けている。そのテーマは、嬰児虐殺の主題であってこれは「サビニーの女たちの掠奪」に至るまで一環している。ピカソは「ゲルニカ」以降1937年「泣く女」のように苦しみを、1942年「夜明けの音楽」「音楽家のいる裸婦」など平和や自由を連想させる作品を描いた。その後晩年の彼の作品には突出したものが見当たらない。主題を見失ってしまった彼は過去の自分、または芸術へと回帰していくのである。ベラスケスの「ラス・メニーナス」のヴァリエーションなど、このころのピカソの作品は明らかに母国スペインに回帰している。またデッサンなどを見ても彼はラファエロを真似たあの少年時代にもどってしまったようだ。1972年6月30日、ピカソは自分をデッサンした。「私は昨日デッサンをしてね。何かこれまでやってきた何ものとも似ていない何かに突き当たったような気がするんだ」この最後の自画像の色彩は、青と緑、紫と黒だった。1973年4月8日、パブロ・ピカソはムージャンのノートル・ダム・ド・ヴィの農場で息を引き取った。
 
         
「考察」
ピカソは「天才」だろうか。それとも「狂人」だろうか。彼が目指した真の芸術とは何だったのか。ピカソの生涯を追ってきて、そこにあるのはただ一人の孤独な、異邦人の物語である。彼の作品群で描かれているのは圧倒的に女性が多い。そこで印象的なのはそこで描かれる彼女たちは一切の感情表現を拒否していることだ。彼には何人もの愛人がいて、彼の作風はそのときそばにいる女によって変わってきたといわれるが、彼はその愛情に対してすら、芸術の中では悲観的なのだ。その例えようもない孤独が彼の作品に対するインスピレーションになり血肉となっていたのだろう。彼のその人生は常に探求であり、又変化であった。彼は常に新しいものを求め、そして過去は常に破壊した。そのため作品は破壊と創造の繰り返しの中で生まれ変化し続けた。ピカソの評価が一定ではないことはその作風の多さに起因するのかもしれない。彼は晩年ひたすら自分と、または過去と対話し続けた。それは失った自分を取り戻そうとする彼の抵抗であったような気がしてならない。「風景」というピカソ最晩年の1972年に描かれた作品がある。静かな作品である。この作品に存在するのは父から絵の具を引き継いだ12歳のピカソ、ラファエロを真似ていた12歳のピカソである。彼の探求の画家人生は実は新しいものではなく、自らの原点を目指していたのではなかったか。「風景」を見てそう思うのである。彼はまぎれもなく「天才」であり、それは破壊と創造の間に生まれた作品の変化の歴史が証明している。しかし彼は同時に「一人の弱い人間」であった。その同時性の中にこそ彼の残した功績のルーツがあるのだろう。
        
「参考文献」
 
○ピカソ/その成功と失敗   J.バージャー著・奥村三舟訳  雄渾社
○世界の巨匠 ピカソ   ダニエル・ブーン著 大田泰人訳 岩波書店 
○巨匠に教わる絵画の見かた   早坂優子著  視覚デザイン研究所
○20世紀の美術       美術出版社

響き

「ごぉぉ~ん」
 
鐘を撞く。
撞く人、それぞれの響き。
 
当たり前のことに気づく。
鐘は、自分では響けない。撞くものがいて、初めて響く。
 
私も自分では響けない。
 
「南無阿弥陀仏」は響き。
 
私のいのちを撞いて下さる方。
阿弥陀さま。おられなければ、私は響けない。
 
それぞれの響き。
いのちの響き。
kenshi

ドンキホーテの真実

「事実は真実の敵だ!」
 
ドンキホーテの悲痛な叫び。
 
老いた体で風車に闘いを挑み続ける男。
 
周りの者によって、風車は魔物ではなく、彼が勇敢な騎士でもなく、ただの老人であることを「事実」によって看破された時、彼は
叫ぶ。
 
「事実は真実の敵だ!」
 
私はこの彼の言葉が好き。
世界は目の前の「事実」ばかり大事にして、「真実」に目を向けない。
 
ドンキホーテが見ていたものが、「真実」かもしれないのに。
kenshi

魚問

 
出色の直木賞作。
 
「流」東山彰良。冒頭の詩。
 
「魚が言いました・・わたしは水のなかで暮らしているのだから あなたにはわたしの涙がみえません」
 
何という、深さ。
 
しばらく、この言葉に溺れる。
kenshi

足跡はひとつ

 
こんな話がある。
 
キリスト教の熱心な信者である男。
いのちを終えて、最後の審判に臨む。
 
イエスとその生涯を振り返る。
するとそこにいつも2つの足跡。
 
「主よ、あなたはいつも私と一緒に歩いて下さっていたのですね」
男は感動し、イエスはふかく頷く。
 
しかし、その2つの足跡が度々、1つになるところがあることに、男は気づく。
振り返ると、その時は男に悲しい試練が訪れた時期。
 
「主よ、あなたは何故、私に試練が訪れた時、ご一緒ではなかったのですか?」
 
男は尋ねる。
 
イエスの答え。
「一緒だったではないか。その時、私はあなたを抱き上げていたのだ」
 
だから足跡は1つ。
ありがたい話。
 
しかしもっとありがたい話がある。
 
私の話。
 
私の足跡は、生まれる前から、死んだ後もいつも1つ。
阿弥陀さまにずっと抱かれて歩む、足跡はいつも1つ。
 
ずっと、ずっと阿弥陀さまに抱かれて歩む、安心の一本道。
kenshi

営み

 
思うこと。
 
何かに時間を使うということは、何かの時間を犠牲にするということ。
何か大きなことを成し遂げたということは、その分、何か大きなものを失っているということ。
 
それだけのこと。
 
「大きなことを出来る人は沢山いますが、小さなことをしようとする人はごくわずかしかいません」
マザーテレサの言葉。
 
人間の、私の営みを思う。
kenshi

ヘロドトス

 
「私には特別な才能はありません。ただ、熱狂的な好奇心があるだけです。」
アインシュタインの言葉。
 
紀元前5世紀、ギリシアに「驚くことの天才」が生まれた。
ヘロドトス。
「歴史の父」と呼ばれ、彼の膨大な著作は「ヒストリエ」(ヒストリー)という言葉を生んで、称えられた。
 
幼い頃、彼は大人を捕まえては
「なぜ、太陽は動くの?」
「蟻は何を考えているの?」
 
問い続ける。驚き続ける。
 
大人になり、戦乱により彼は故国を追われ、旅に。
あてもなく、各国を周遊。
 
「何故、世界はあるのだろう。こんなに広いのだろう」
 
彼は、記録の多く残っている神殿を訪ねる。
そして、神官に問い続ける。驚き続ける。
その驚きが、彼の遺した膨大な歴史の記録となった。
 
彼が驚かなかったものがある。
 
「語り部が信じていない話」
 
真実か嘘かは関係ない。
語り部が、自分の話を信じているか。感動しているか。
そこに彼は拘った。
 
語り部が、いくら饒舌であろうと、面白い話をしようと、語り部本人が自分の話を信じ、感動している。
その熱が感じられないと、彼は「驚かなかった」
 
彼の遺した膨大な歴史の記録に、それは残っていない。
 
驚くことの大切さ。語るということの大切さ。
 
ただ思う。
kenshi

鈴木久五朗

 
雑誌の切り抜きを読み返す。
 
鈴木久五郎、伝説の相場師。
 
明治39年、29歳の時、彼は投資を始める。
才を存分に発揮し、半年で得た金、実に1000万円(今の価値で2000億円)
 
しかし、彼はその瞬間から落ちてゆく。
 
100名の芸者を水揚げし、毎夜人力車にて料亭へ。
大騒ぎ。
池の水を抜き、代りにビールをなみなみと注ぐ。底に金を敷き詰め、芸者に潜らせて取らせる。
札束を料亭の二階より放り投げ、蟻のようにたかる人々を眺める。
 
そんなことを繰り返す。
心を失い、
彼は使い切れないお金に、使われていく。
 
半年後、史上空前の大恐慌。
 
彼のお金はわずか2ヶ月で消える。
 
同じような相場師が沢山いた。みな、身を持ち崩し、いのちを絶つものも多くいた。
 
そんな中、彼は、昭和18年65歳まで細々と生きる。
 
何故か。
 
暴落の5年後、中国から孫文が日本を訪れる。
久五郎にお礼をしたいとのこと。
彼は、使いきれないお金の捨て所として、孫文に多額の援助をしていた。
 
孫文は久五郎を帝国ホテルに招く。
「昔、ご恩をいただいたお礼をさせて下さい」
 
絶好の復活、再生のチャンス。
 
しかし、彼は意外なことを言う。
 
「実はもうすぐ子供が生まれます。もしよければあなたのお名前の一字を賜りたく存じます」
 
すんでの所で彼は人生に踏みとどまる。
 
あたらしいいのちの誕生。
お金よりもかがやくもの。
 
そのかがやきが、その後の彼の人生を照らす。
 
 
鈴木文子。
彼女は松竹歌劇団男役として活躍の後、NHKのアナウンサーへ。
久五郎も人脈を生かし、細々と彼女を支える。
 
彼は62歳まで、願いあう親子のあたたかさの中で、生きた。
 
お金ではなく、願いに生かされた。
kenshi

落っこちる

 
以前、尊敬する先生が夏扇に書いて下さった言葉。
 
「地獄より浄土に落ちる」
 
浄土は落っこちる場所。
 
スキーのジャンプ競技。
冬季オリンピックの花形。
 
あれは遠くに飛んでいるのではない。
遠くに落ちてゆく競技。

一番落っこちた人が、栄冠を得る、不思議な競技。
風に身をゆだね、すべてを任せる中で、無事着地することが出来る。
 
自分を離れる、踏み切りの第一歩。風への第一歩。
その落っこちる瞬間が一番勇気がいるのかもしれない。
 
阿弥陀様の風に、お任せする一歩。
安心して、踏み切り、落っこちていきたい。
kenshi

藤井聡太さん

 
ついに、負けた。
 
その敗北の1分前、彼は丁寧に上着に袖を通す。
その流れるような美しい仕草。
 
飲み物を少し、口に含み、
 
「負けました」
 
勝者も気勢を上げるでもなく、頭を下げる。
なんという静けさ、美しさ。
 
負けを認める1分前、勝者に敬意を払うために、羽織ったもの。
それは、上着だけではないだろう。
負けた、という心。それを最後に大切に丁寧に、羽織る。
 
「負けました」
 
彼は、負けてはいない。
 
本当の強さ。
 
こんな人に、私もなりたい。
kenshi

いつでもどこでも

 

阿弥陀さまは「いつでもどこでも」の仏さまと言われます。

 

息子がお世話になっていた保育園の運動会でのこと。

スタートラインの白線の上にうずくまり、一歩も動けなくなっている三歳児の女の子がいました。

「一人で保育園のお庭を一周して来れるかな?」という種目なのですが、スタートが切れないのです。

 

泣き出してしまいました。

 

「さあ、どうなるのだろう。次の子が出発できないぞ。」園庭が心配に包まれます。

 

するとお母さんでしょうか、若い女性が女の子に近づいていきます。

うずくまる女の子を後ろから抱き上げました。

 

「列の外に出すのかな」と眺めていますと、そのお母さん、女の子の足を自分の足の上に乗っけて、一、二、一、二と歩みだしたのです。

 

二人でスタートを切っていきました

 

泣いている女の子の一歩一歩を自分の足でしっかり支えながら、お母さんの目に光るもの。泣いているのです。

 

園庭一周というわけにはいきませんでしたが、小さな円を描いて親子でゴールテープを切っていきました。

いつしか涙は笑顔に。会場は万雷の拍手。

 

あたたかい光景に出遇いました。

 お母さんと子供の歩みに大きな願いを感じました。

「どうにかしてこの子をゴールにたどり着かせてやりたい」という親の願い。

 

阿弥陀さまを思っていました。

 

阿弥陀さまはゴール地点で待っておられる仏さまではありません。

お迎えに来る仏さまでもありません。

 

私達の人生の最初から最後まで、まるごと「いつでもどこでも」一緒に歩いて下さる仏さま。

 

今、私達のいのちは阿弥陀さまのはたらきにしっかりと支えられているのです。

kenshi

聞こえてくる

 
聴聞。
どちらも「きく」という字。きくことの大切さ。
親鸞聖人は「聞」の字の方を大切にされた。
不思議な字。耳が門に閉ざされている。
「聞こえない」ということを、この字は表している。
 
幼い頃、日曜学校で温泉津の海へ遠足に行った。
お兄ちゃん、お姉ちゃんたちと、嬉しくてはしゃいだ。
広がる海床に波が打ち寄せることにワクワクして、走り出す。
 
次の瞬間、景色が消えた。
気づいたら「ぶくぶく」と、海の中。足を滑らせて落下。
お兄ちゃん、お姉ちゃん達が、水面の向こうで大きな口を開けて
何か、言っている。聞こえない。
 
そんな中、聞こえてきたもの。
「顕之!顕之!」声が近くなる。父の私を呼ぶ声。
大きな手で、私はそんなに深くも無かった海から引き上げられた。
 
今でも不思議に思う。なぜ、父の声だけが聞こえたのだろう。
きっとそれは、そこにとてつもない願い、誓いが込められていたから。
「絶対に助けるから、安心しろ」
という願いが、言葉から溢れていた。
 
父の声が聞こえてきた瞬間、まだ私は海の中。
でも、「助かった」と思った。
まだ、助かっていないのに「助かった」と感じた。
 
親鸞聖人の「聞」はこちらが耳を澄ませ聞く、ということではない。
「聞こえない」私にどうあっても呼び続ける、叫び続ける阿弥陀様の声がいつしか、「聞こえてくる」んだ。
 
「聞こえてきた」瞬間、私はもう助かっている。
「南無阿弥陀仏」は私のいのちに聞こえてくる、響き。
kenshi

求め合う

 
「天声人語」・・・天の声人をして語らしむ
 
朝日新聞の伝説的なエース記者、藤代惇郎。
3年間「天声人語」を担当。急性骨髄性白血病にて急逝(享年46)
 
「母ちゃん」という実話の記事がある。
 
盗んだ免許証を使い、大きな交通事故をおこした22歳の男。
搬送された病院を遠く八丈島から訪ねてくる、免許証の本当の持ち主の母親。
息子とは長年音信普通で、包帯で顔をぐるぐる巻きにされた男を自分の息子だと信じて疑わない。
 
一週間目に意識を取り戻した男。
「母ちゃん」
と、ひとことつぶやく。
 
母親は、献身的に看病し、包帯を取り替える時は、「醜い顔を母ちゃんに見られたくない」との男の言葉に、外に出る。
 
故郷の話をすると、「頭を打ってよく覚えてないんだ、母ちゃん」と繰り返す男。
やがて声も違うし、背も高すぎることに気づく。
しかし、「母ちゃん」と呼びかけられることの嬉しさに看病を続ける。
 
やがて包帯が取れ、男が息子と別人だと分かったとき、驚きも、怒りもせずに、この母親は静かに八丈島へ帰っていく。
 
この文章は次のように結ばれる(原文のまま)
 
『消息不明の息子の代役になって「母ちゃん」と呼び続ける演技に乗りながら、彼女は男を「息子であるかのように」思いたかったのかもしれぬ。両親を知らぬ孤独な男も「息子であるかのように」愛を盗み続けたかったのだろう。この話には「愛は盲目」とダジャレに流したくないような、人間のさびしい響きがある。』
 
何度も読み返す記事。
さびしい響きと同時に、求め合う美しさが心を打つ。
 
人は誰しも親を求める。それが支えとなり、人生が、いのちが、成り立っていく。
 
そして大切なのは、「親も子を求める」ということ。そして、親の愛は見返りを求めない。文中の母親のように裏切られることが分かっていても、無償の愛を注ぐ。
 
私がいのちを思うとき、阿弥陀さまを思い、求める。
そして、阿弥陀さまもいつも、私を求めて下さっている。
私がどんな時も、どこにいても、背を向けていても、私を宛先として、「あなたを救う。どうか私に気づいて名前を呼んでおくれ」と、願い続けて下さっている。
 
阿弥陀様はいのちの「親さま」 私たちはみんな「子」
求め合う親子の美しさに出あう。
 
そこに、本当の人生のきらめきがあり、目的があるのだろう。
kenshi

蜜柑

 
数は多くないが、折々に読み返す、たまらなく好きな文章がある。
その1つ。芥川龍之介の「蜜柑」
 
列車の2等席に陰鬱に座り、煙草に火をつける主人公の男。
人生に心底退屈し、すさんだ表情で車窓を眺める。
 
そこに、おぼつかない足取りで、3等席の切符を大切に握りしめた田舎くさい少女が駆け込み、
どかっと向かいに座る。
落ち着かない様子で、きょろきょろと外を眺める。
 
男は一層、鬱々とし、少女を眺める。
 
やがて、列車はトンネルへ。
すると少女は列車の窓を「ガタガタ ガタガタ」
下ろそうとする。
窓が開き、黒煙に満ちる車内。男はたまらず咳き込む。
 
トンネルを抜け、踏み切りに差し掛かる。
「おい!」と怒鳴ろうとする男。
その瞬間、少女は窓から鮮やかな色を放る。
 
蜜柑、蜜柑。
 
その先に何やら歓声をあげて、何人かの男の子が手振っている。
男は、悟る。
この少女は奉公に行くのだ。見送りに出た、弟たちに一心に蜜柑を放ったのだ。
 
「私はこの時始めて、云いようのない疲労と倦怠とを、そして又不可解な、
下等な、退屈な人生を僅かに忘れることが出来たのである」
との台詞で、この短編は閉じられる。
 
何故か、たまらなく好き。
この一杯の願い込められた、そして無私の心が込められた、
「蜜柑」に出あう為に、この人生はあるのではないか。
 
その鮮やかな色に出あいたくて、薄い本を開く。
kenshi

うらやむ人

 
新聞にこんな記事。
 
「うらやむ」とは自分をその人の位置まで高めたいという意味。
「ねたむ」とはその人を自分の位置まで落としたいという意味。
 
出来れば、私は「うらやむ人」でありたい。
kenshi

WATER

 
昼下がり、何となく眺めていたテレビ。
 
「私は1人の人間でしかないが、1人の人間ではある
 私は何でも出来るわけではないが、何かは出来る」
 
言葉の先に、ヘレンケラーがいた。
 
ヘレンケラーは7歳の時、初めて言葉の存在を知る。
この世界が広く、美しいことを彼女に教えた、ある1つの言葉。
その言葉に導かれ、彼女は前を向く。
言葉にすくわれ、偉人「ヘレンケラー」は生まれた。
 
「WATER」
 
彼女が初めて出あった言葉。
サリバン先生により、手にかけられた水。
 
この冷たくて、気持ちのよいものは、「WATER」というのね。
 
彼女が言葉を認識したのではない。
水のはたらきが、彼女に言葉を与えた。
 
視力、聴覚、言葉を失った彼女の闇を「WATER」が破る。
 
私の出あう言葉。
自分で発明した言葉は1つもない。
オギャーっと生まれてから、私に届けられ続けた言葉が、私の言葉となっている。
 
ヘレンケラーも私も、いのちの「闇を」抱えている。
何も見えない。いのちすら、見ることが出来ない。
 
「南無阿弥陀仏」に出あう不思議。
 
生まれる前から、私に届け続けられている言葉。
私の闇は変わらないが、とてつもなく広い世界が見える。
私から離れない、永遠の言葉。
「われにまかせよ。かならずすくう」
 
私にとっての「WATER」は「南無阿弥陀仏」
kenshi

きらめく欠片

 
一応、新聞を読む。
 
私にとって新聞は紙のにおい。
さーっと読む中で、はらりと紙のいい香り。
そこに出会うために読む。
 
あとは、欠片探し。
大きな記事はほとんど見出ししか読まない。
紙を感じながら、さ~っとななめに目を走らせる中で、
小さなひかりに出あうことがある。
 
「夢であいさつ」
半年前に亡くなったうさぎのマロンが生き返った夢を、中3の娘、私と順番に見た。病気になり、一生懸命看病したけれど、覚悟していたよりも早くお月さまに帰ってしまった。
好奇心旺盛で、人懐っこい性格の愛らしい姿は、いつでも家族みんなを癒してくれた。夢の中のマロンは初めは弱っていたが、みるみる元気になった。そこらじゅうを駆け回る姿は、我が家で過ごしていた時と同じだった。
私が夢を見た日、「2人が同じ夢をみるなんて不思議だね」と中1の息子に話した。すると、息子が「それは生まれ変わることが決まったから、あいさつに来たんだよ」と言った。
その言葉を聞いた時、涙がぽろりとこぼれた。マロンのことを思い出すたびに沈みがちだった気持ちが一気に晴れた気がした。だから、一番かわいがってお世話をしていた娘に最初にあいさつに行ったんだね。私のところにも来てくれたってことは、私のことも慕ってくれていたのかな。
今度はどんな姿に生まれ変わるのだろう。姿が変わっても、出会えたらきっと分かるような気がする。そのときのことを考えるとわくわくする。
             埼玉県所沢市 原 直子 主婦48歳
 
紙の香りに、こんなきらめく欠片が紛れている事がある。
 
だから、新聞を読む。
kenshi

1本のカーネーション

 
5月14日、今日は母の日。
 
江津市に出来た真新しいショッピングモールに立ち寄る。
1階の花屋。さっと店内を見渡す。
色とりどりの花と、1人の中学生らしき制服の少年が目に入る。
綺麗に整えられた、手頃な花束に目がとまり、早速レジへ。
清算を待っている間、さっきの少年を見つめる。
赤いカーネーションの前に佇み、1本1本大切に手に取って、色、香りを確かめている。
 
「3,000円になります。ゆめタウンのカードお持ちですか?」
店員の乾いた声。
清算を済ませ、少年を見つめる。
 
しばらくして、1本のカーネーションを手に取り、レジへ。
「ラッピングお願いします」
赤いリボンを結ばれた、たった1本のカーネーション。
胸に抱くように、少年は小走りに去っていく。
 
多くはないであろう小遣いから、選択に選択を重ね、悩みぬいた末に選んだ、1本のカーネーション。
母への深く、大きな思いが、花鮮やかに香る、その1本に込められている。
 
私の花束に整えられた4本のカーネーションを見つめる。
どれもさっきより、少し色褪せて見える。
どれが1番綺麗だろう、そんなことを思いながら、家路。
kenshi
 

安全地帯

 
明治25年、浄光寺第十四代住職・白英師の時代、江津市都野津町に浄光寺説教所(支坊)が建立された。
その境内の真ん中に、シンボルのように立つ一本の柳の木がある。
 
「若さん、この木はわしの安全地帯だったんで」
境内の掃除をしていると、ご近所に住むおじさんがふらっとやって来て、遠い目をして言われる。
幼い頃、悲しいことがあるといつもこの木の下で座り込み、膝を抱え泣いていたとのこと。
不思議と気分が晴れたそう。
 
「安全地帯やぁ、懐かしいわ。切らんといてな」と満面の笑み。
 
がらんどうの幹を抱え、だらしなく枝を垂らす、決して格好良いとはいえない老木を眺めながら、本堂に戻り、阿弥陀様の前に座る。
 
格好良くなくてもいい。ただ寄り添える木のようにありなさい。ただ寄り添えるお寺でありなさい。
そんな声が、優しいお顔から聞こえてくるような一日。
kenshi

籐椅子

 
説教所でお彼岸法座の準備をしていると、参拝者の為に並べた一つの籐椅子に目が留まりました。
その脚に補修の為に巻かれてあるガムテープ。声が聞こえてきます。
「若さん。剥がれてたら不細工だし、使う人が危ないよ。」
ふと笑いがこみ上げてきて、そして、ひどくさみしくなります。
 
長い間本当にお世話になった方が「もう長くない」という一報を頂き、病院へ妻と子と向かいました。病室に入ると、その方のご家族、そして、ひと足早く駆けつけた私の父母が一点を見つめていました。
その視線の先に、その人はいました。小さく肩で息をしながら、眠っているようにも見えました。一報を下さったお孫さんの「手を握ってあげて下さい」との勧めに、手を握りました。細く、皺くちゃな、働き者の手。
こちらを真っ直ぐに見つめる少し開いたその瞳に、ふがいない私は何も言えず、時間が過ぎていきます。
すると、脇にいたお孫さんが「おばあちゃん!これを渡さないといけないんだろ。」と言われ、あるものを差し出しました。その方の手をお孫さんが押し出すようにして差し出されたものは、「ビスケット」でした。
その方の病院の売店での最後の買い物。
私の子への「ビスケット」でした。
 
その方は、念仏者でした。お寺の法座にはいつでもその方の姿がありました。
「お寺に参らないとつまらんのだけーな!」と手押し車で先頭を切り、何人かの人を引き連れてお参り下さいました。いつも最前列の阿弥陀様の真正面で、うなずきながら、手を合わせる姿がありました。
そしてその方は、奉仕の人でした。お寺で会がある時は、お参りの人数に似合わない、山ほどのぜんざいやかき餅を朝早くから手作りし、持ってきて下さいました。お寺のお掃除にも、欠かさず来られ、それどころか人の墓掃除もされていました。思い出は尽きません。
 
お彼岸法座で、ご講師の先生が参拝の皆様にこんな質問をされました。
「この中で、この浄光寺説教所に初めて参られた方がおられますか?」
しばらくして、最後列の左端の女性が恥ずかしそうに小さく手を挙げられました。
「全然恥ずかしいことではありません。あなたもはたらきの中におられるのですよ」とご講師の先生があたたかくおっしゃいました。
 
「若さん!さみしくなんかないんだけーな!わしが連れて来たんだけーな。頑張らにゃいけんのだけーな!」
そんな声を阿弥陀様の正面に置いた籐椅子を見つめながら、聞き、手を合わせたお彼岸でした。
kenshi

真央ちゃん

 
浅田真央選手の引退会見に、強く心動かされた。
その前向きな笑顔。そして涙。
 
こんな質問があった。
 
「もし戻れるとしたら、戻りたい瞬間はいつですか?また、その時の自分にかけたい言葉がありますか?」
 
真央ちゃんは、少しの間宙を見つめ、前を向き、こう答えた。
 
「戻れないですからね。それは分からないです」
 
最後、こらえきれずに流した涙が、本当に美しかった。
 
その涙の奥にあるもの。
そこには、過去の自分に対して、伝えたい言葉が沢山あるのだろう。
それを飲み込み、敢えて言葉にしなかった真央ちゃん。
 
彼女の深いところに残された言葉は、きっと彼女の新しい未来を照らしてゆく。
 
これからも、応援したい。
kenshi

まなざしは変わらない

 
阿弥陀様の目は細く、そのまなざしは変わらない。
 
昨年、思いもよらぬ病気をもらった。
ギランバレー症候群。10万人に1人の病気。
手足に、全く力が入らない。
 
2週間、病院のベッドの上。
始めの2日は、起き上がることもままならず、ベッドの横には大仰な機械。「心肺蘇生装置」。
強い点滴の影響で、稀に心臓が止まることがあるそう。
 
怖かった。
 
付き添ってくれる妻も、家族もどこか不安そうなまなざし。
 
そんな時、
「おとうさーん!」
子が病室に駆け込んでくる。力の入らない手を握り、
嬉しそうに、保育園の報告をしてくれる。
いつもと変わらない、子のまなざし。
 
何故かホッとした。嬉しかった。初めて、「大丈夫」と感じた。
 
阿弥陀さまの目は細く、そのまなざしは変わらない。
 
私が近くにいても、遠くにいても。
苦しいときも、うれしいときも。
健康なときも、病気のときも。
生きたいときも、死んでしまいたいときも。
生まれるときも、死ぬときも。
 
状況によって、そのまなざしは変わらない。
ただ、「大丈夫、あなたは助かるよ」と
どんな時もみつめて抱いていらっしゃる。
 
何があっても、変わらない私へのまなざし。
 
そこにお任せするのみ。
kenshi

欠けているからこそ

 
こんな話に出会った。
 
球体の「ぼく」の体は欠けていて、あまり早く転がれない。
その欠けている部分を探しに出かける。
でも、うまく転がらないから、途中ですぐ止まってしまう。
そのたびに、お花さんや虫さんとお話をする。
うまく転がらないから。止まってしまうから。
 
ある日、ついにその欠片を見つける。
完全な球体になったので、嬉しくて、お花さんや虫さんに会いに
転がっていく。
 
でも、お話は出来ない。
転がり続けてしまうから。止まることが出来ないから。
 
欠けているところに、「ぼく」はあった。
という話。
 
ほんわか、じんわり、胸が熱くなる。
 
私も欠けている。でも、欠片を探しにいかなくてもいい。
欠けているからこそ、大切なものに出会える。
 
欠けているからこそ、阿弥陀さまにも出会える。
kenshi
 

サイの穴

 
仏壇の前に座る。
 
線香をお供えする。その香りに少しホッとする。
 
よく見ると、線香は、灰の上で熱を持ち、燃え尽きることに気づく。
 
灰のことを思う。
灰とは、燃え尽きた線香のすがた。
 
多くの燃え尽きた線香に支えられ、新しい線香が燃えていく。
 
そのすがたに、私のいのちのことを思う。
 
 
先日、仏教伝道協会発行の冊子にこんなことが書いてあった。
 
ネパールのサイの話。
ネパールの森深く、サイは、いのち終わる前、穴を掘るそう。
 
「自分の墓を作るのかな?」
そんな私の予想は大外れ。
 
残された子孫、仲間のためにサイは最後に穴を掘る。
 
その穴に雨水ががたまり、残されたサイのオアシスになるそう。
 
いのち終わる最後に、「安心できる場所」を遺して
ネパールのサイは死んでいく。
 
仏壇の前に座る。
 
上り行く香のすがたを眺めながら、サイの遺す穴を思う。
 
先立っていかれた方が用意してくれた、
 
ここは「安心の場所」。
kenshi
 

一片の板切れと亀のであい

過去無量のいのちのバトンを受けついで
 
広い広い大海原に一片の板切れが漂っています。
その板切れには赤ん坊の頭ぐらいの穴があいています。
 
三年に一度、海の底から亀が海上に顔を出します。
その亀がたまたま海上に顔を出した時、
ちょうど頭上に板切れが漂っており、その穴に亀が頭をつっこんだ。
 
どこに漂っているかわからない。どこに上がってくるかわからない。
しかも、三年に一度しか上がってこない亀と板とのであい…。
 
このくらい難しい確立で私はこの世に生を受けることが出来ます。
――これはお釈迦さまのおたとえです。
 
私がここにいるのは、私に親がいたからです。
ではなぜ親がいたのでしょう。
それは、親にも親がおり、その親の親にもまた親がいたのです。
 
私のいのちの歴史をさかのぼっていくと、千年・二千年どころではありません。
この地上に生きものが発生して以来、生命は受け継がれ、今ここにいる私のいのちとなったのです。
 
とうてい始めのわからない昔から、何万人・何億人…いや無量のいのちのバトンを受けついで、
今ここに生きているのが「私」です。
 
私を生かしている生命は、無始よりこの方受けつがれてきたはかることのできない生命…
つまり「無量寿」の生命であります。
 
私が、いま生きているのは、「無量寿」の生命をたまわったからです。
「無量寿」の生命を今、私は生きているのです。
 
「無量寿」のはたらきを、インドのことばで「あみだ」と言います。
                                              shoryu

1×1は1

 
先日、子が九九を披露してくれた。
 
抱っこの胸の中
 
「六の段まで言えるんで~」
と、得意そう。
 
「いんいちがいち!いんにがに!・・・」
 
「あっ間違えた。いんいちがいち!・・」
 
間違えた所からはじめればいいのに、
「いんいちがいち!」 からまたやり直し。
 
少し腕が疲れてきた頃
 
「ろっくごじゅうし!!」
 
かわいい笑顔。
 
頭の中で「いんいちがいち!」
がリフレインしていた。
 
阿弥陀さまと私の関係みたい。
 
1+1=2。ではなく
 
1×1=1
 
阿弥陀さまに抱っこされて、私も、子供も、1×1=1の人生。
kenshi
 

月と井戸

 
不思議な話を聞いたことがあります。
 
上から覗き込んだら怖いくらいの、深く、真っ暗闇の井戸でも、底の水面には光が届いているんだそう。
 
太陽の光が届くのかな?と思いましたら、太陽の光は届かないそうです。
 
では何の光が届くのか。
 
月の光が届くのだそうです。
闇夜を照らす月の光が、夜が明けて、明るくなっても残像として井戸の底に残っているというのです。
 
どんなときでも暗闇をほっとけない、という月のはたらきが不思議で、何かあったかく感じられます。
 
ふと何かの拍子に、寂しさやむなしさに襲われることがあります。
楽しい時間を過ごし、友人と別れるとき。誰も居ない家に帰るとき。人ごみの中を歩いているとき。
楽しい団らんの時でさえ、ふっと落とし穴に落ちるように、寂しく、むなしくなるときが。
 
皆さんはありませんか。
 
「人間はみな泣きながら生まれてくる」
五木寛之さんの本でこんな言葉がありました。そして続きにこうありました。
 
赤ちゃんは実は知っているんではないか。自分を産んでくれた母と別れなければいけないことを。
そしてやがては死ななければならないことを。
だから、皆泣きながら生まれてくるのだと。
 
考えさせられました。
 
私達はみな死にたくはないし、別れたくはない。
そんな深い井戸を心に抱えて生きているのではないでしょうか。
 
そんなことを思うとき、「ほっとけない」
 
と、届いてくれる月の光のお話がたまらなくあったかく感じられます。
 
月の光は闇があるからこそ、届いてくれる。
 
井戸があるからこそ届いてくれる。
 
「死にたくない。別れたくない」にこそ、届いてくれる。
深い闇を妨げとしないのです。
 
阿弥陀さまの光。
kenshi
 

満てた!!

俳句を始めて空をよく見るようになった.
 
不思議と雲ひとつない、青空を見ることは滅多にない。
今日は!と思う日も稜線に薄い雲が棚引いていたりする。
 
昨年、子供の保育園の遠足で三瓶山へ行った。
西の原。
子供と並んで野に大の字になり、眺めた空。
雲ひとつない青空。
空一面が青い光で満ちていた。
 
朝日新聞の「天声人語」
こんな文章に目が留まった。
 
「○○さんがわりぃって聞いていたけど、今日満てたらしい」
 
高知の方言で「死ぬ」ことを「満てる」というそう。
 
いのち終わって空っぽになるのではなく、満たされていく。
 
煩悩の雲ひとつない、阿弥陀様の願いに満たされてゆく。
それが、「死ぬ」、「満てる」ということ。
 
煩悩の雲は死ぬまで消えない。しかしそれを空は変わらず抱いている。
 
子と眺めた西の原の空を、思い出していた。
 
私はいのち終わるとき、「満てた!!」と
 
思えるだろうか。
kenshi
 

階段は下っていた

掌(たなごころ)についての文章を読んだ。
 
ごつごつと骨ばった手の甲に比べて、手のひらは弱い部分。
やわらかく、熱にも弱い。
 
しかし人間は信頼関係を築く時、その弱い部分を相手に差し出す。
握手をする。
弱い部分を相手と合わせることで、安心する。
 
抱き合う。
急所の集まった体の前面を相手に投げ出す。合わせる。
最高の信頼表現。
 
普段、強がって、自分が正しいと思っているのに
人は弱さを相手に見せることで、安心する。
 
不思議。
 
手を合わせる。合掌。
弱い掌(手のひら)を合わせる。
 
これはきっと、「自分は弱いですよ~」と
大きなものにまるごと投げ出していく姿。
 
合わせた手の真ん中に、あたたかさ。やさしいぬくもり。
 
阿弥陀様は、手のひらをこちらに向けて、立っておられる。
弱い部分を私に見せて下さっている。
 
それはやさしいお姿。
 
弱い私を、引き受けていますよ。
そんなあなただから、私はいるのですよ。
 
合わせた手のひらの真ん中に、そんな声が聞こえてくる。
 
人生とは階段を上っていくのではなく、下っていく。
 
だからこそ、ありがたい。
 
力強く、下っていきたい。
kenshi
 

新しい時間

 
何気ないひと時、ふと気づくと時計を眺めていることがあります。
 
幼いころより私は時計をボーっと眺めることが好きでした。
絶え間なく、そして限りなく正確に動き続けるその秒針に気づくと、目を奪われ、
つい追いかけてしまうのでした。
いつの日か見たテレビの影響で「この針が止まると、私も消えてしまうのではないか・・・」と想像し、
恐ろしくなったことを覚えています。
 
そして、私は今も秒針を目で追ってしまいます。
 
思えば、私はいつも時間を気にして生きているような気がします。
楽しい時間はもっと時間がほしい、
苦しいときは早く時間が経ってほしい、
 
そしてあの時に戻りたい、、と何度思ったことでしょう。
 
しかし、秒針はそんな私の思いに気づかぬまま、一秒、また一秒と変わらぬ時を刻んでいきます。
いつも、普遍的で、そして思うようにならないのが、秒針。
 
太宰治さんの「人間失格」の主人公の台詞。
「私にはもう何もありません。ただ一切は過ぎ去っていきます」
 
時間は待ってはくれません。進んでいくと同時に、去っていくのです。
私たちは、その中で進み続けるしかない。
その中で、なすすべなく確実に老い、病み、死んでいかなければならないのに、進み、
失っていかなければならない。
 
そう考えますと、時の流れの前では、私たちは本当に小さい存在に思えてきます。
 
「小さいままでいい」
 
時間の隙間から聞こえてくる声があります。
小さな私に届く声。
 
「必ずすくう」
 
やさしく力強い声。
 
かねてより私を永遠の時間が包んでいる。
親鸞聖人はご一生をかけて、時間空間を超えた阿弥陀様を説いて下さいました。
 
阿弥陀様の大きないのちに、私は、今、そのまま抱かれていることを教えて下さいました。
 
止まることのない時の中に今、私たちは生かされています。
だからこそ、思うようにならないからこそ、しっかりと時をみつめ、
常に私を呼び続けて下さっている声、
「南無阿弥陀仏」に耳を澄ますこと。
大切に思います。
 
秒針のない新しい時間を、もういただいているのですから。
 
kenshi
 

赤ちゃんのお念仏

 
あるお通夜でのことです。
その日のお通夜は沢山の参列があり、皆さんご一緒にひときわ大きな声での正信偈の読経となりました。
すると突然、その読経の声を掻き消すような大騒音が私のすぐ後ろで巻き起こったのです。
 
「おぎゃー!おぎゃー!」
 
赤ちゃんの泣き声でした。
 
あまりにも大きな泣き声で、一瞬読経の声が止んだほどです。
たまらず後ろを振り返ると、赤ちゃんはお母さんにしっかり抱かれてあやされていました。
 
「泣く」ということを考えました。
 
世界には人口の統計にも残らず、「消えていく」人々がいると、本で読んだことがあります。
つまり、生まれてすぐ捨てられる赤ちゃんが沢山いるんだそうです。
まれに保護される赤ちゃんもいるそうですが、殆どはこの世での記録にも残らず、死んでいってしまうんだそうです。
むごい話です。
 
赤ちゃん、最初は泣くんだそうです。
 
抱いてくれる誰かを探して。
 
自分を受け止めてくれる胸を探して。
 
しかしやがて泣くことを諦めてしまう。
そしてその時から、急激に衰弱していくのだそうです。
何故ならいつしか受け止めてくれる支えがないと分かるから。
いのちの支えがないと、人は泣けないのです。
人は「お前を引き受けた」という確かな支えがあるから、
「泣ける」のです。
 
その赤ちゃんはお母さんの胸で、思いきり泣いていました。
確かな支えの中で。
 
お通夜の最後、皆さんの大きなお念仏の声の中、あれは赤ちゃんのお念仏だったのかもしれない、
そう思いました。
 
私達の出会っているお念仏は、確かないのちの支えの上にいるからこそ出る「泣き声」なのです。
 
私達、阿弥陀様の大きな胸に抱かれているのです。
kenshi
 

 
へその緒が目の前にありました。
 
意外と太く、しっかりとした、チューブのような。
「ドク!ドク!ドク!」
はっきりと聞こえる自分の心音の中で、震える手を自覚しながら
3回に分けて切りました。
 
その瞬間
 
「お、ぉぎゃ~ぉぎゃ~」
 
その控えめでやさしい産声を、一生忘れないでしょう。
 
11月30日(火)、小春日和。
午前のお参りを終え、白い息を追い越すように、妻のもとへ向かいました。
「落ち着け、落ち着け」
自分に言い聞かせながらも、車のドアに足をぶつけ、
病棟へ向かう足はもつれ、息はあがり・・・・。
 
駆け込むようにして辿り着いた病室で、
妻は母となる闘いを続けていました。
29日の晩より続いていた陣痛が、いよいよ間隔が狭まり
強くなっていることが、その表情から伺えました。
 
精一杯の笑顔でかけようと思っていた
「大丈夫だよ」の声を飲み込み
ただ腰をそっとさすりました。
 
12時前、いよいよ分娩室へ。
助産師さんの指導のもとで、苦痛の表情にゆがむ
妻の顔を眺める時間が続きました。
母となる妻の顔、強い表情、自分の無力感。
 
病室内に響く赤ちゃんの心音が大きくなってきました。
ふっと病窓に目を移すと、冬の日があたたかく差しています。
 
赤ちゃんの小さな頭が見えました。
 
午後2時42分。
 
「おめでとうございます!大きな男の子です」
助産師さんの声。
 
妻を見ると、呆然と宙の一点を見つめています。
 
助産師さんが赤ちゃんを胸に置くと、
妻の焦点がゆっくりと戻り、その目から涙が流れました。
 
妻は母となりました。
 
知らず知らず、私も父となっていました。
kenshi
 

親の願い

お寺の法座で若院がこんな話をしていた。
 
息子「生」が誕生し、初めて言った言葉が、「タータン」(おかあちゃんこと)。
ことばが遅かっただけによろこびは大きかった。
おかあさんは一番身近にいて、乳を飲ませ、「おかあさんよ、おかあさんと言ってね、
大丈夫よおかあさんここにいるからね 云々」と絶えずはたらきかける。
次は、おとうちゃんだろうと思っていたら、ジージーだった。
でもやがてトータンと呼んでくれた……と。
 
親が願いをかけ、はたらき続けるから名を呼んでくれる。
親の名を呼んだということは、はたらきが届いたということ。
親がはたらかなかったら名を呼ばないだろう。
 
お念仏が私の口からこぼれてくださる。
お念仏申そうという思いがこの身にわきおこる…ということは、
もうすでに阿弥陀さまのはたらきがこの私に至り届いている。
 
「念仏申さんとおもいたつ心のおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたもうなり」『歎異抄』                               
 
仏法はわかりなさい、理解しなさいではない。
私が出向いて「なもあみだぶつ」とはたらくから聞いておきなさい。
ほとけさまは「なもあみだぶつ」の声となって来て下さる。その声を私はいただくだけ…。
 
「われ称え われ聞くなれど なもあみだ つれてゆくぞの 親のよびごえ」(原口針水和上)                          
 
私がお浄土につれてまいるからそのことをしっかり聞きなさい。
わかるのではなく、聞くだけ、うなずくだけ、まかせるだけ…
だから親鸞聖人は、臨終をまたずしておまかせする今、私たちはすくわれるとお示しになられた。
 
「臨終まつことなし 来迎たのむことなし 信心の定まるとき 往生また定まるなり」『末灯鈔』 
shoryu                                  

如来のまなざしの中で

私は10数年前、網膜はく離の手術を受けました。
ある日のこと、突然左目の視野が狭くなり病院に行きますと、
「絶対安静です。すぐ入院して下さい。」とのこと。

ほっておくと失明するということで、入院後二日目に手術を受けることになりました。
目の手術ですから、手術されている目を通してすべてのものが見えます。
手術中のメスや、針で切り口を縫っていく様子も見えます。
 
不安な気持ちでいる私の目に、時折看護婦さんのあたたかい眼差しがそそいできます。

「能美さん、大丈夫ですよ。安心しんさいね。」 そう私に語りかけているようでした。
そのやわらかい眼差しに包まれて、安心して二時間余りの手術を終えることができました。
 
私たちは、どんなに不安であっても、どんなに貧しくとも、
まわりにあたたかい眼差しがあれば生きていけます。苦悩をのりこえていけます。
反対にどんなに物に恵まれていても、冷たい目、意地悪な目の中では生きていけません。

いくら強がりを言っても、主体性のある生き方をすると言っても、私たちは人の目に負けてしまいます。
冷たい目を意識していると、いつの間にか己も冷たい人間になっています。
意地悪い目ばかり気にしていると、気づいてみると自分も意地悪い人間になっています。
 
多くの人は、冷たい人の目の中で、〝負けるものか、負けるものか〟と頑張りながら、
結局世間の目の中に埋没していくのです。
 
「なもあみだぶつ」と如来のみ名をよぶことは、
誰がどんな目で見ようが、あたたかい目で見てくださる如来さまがおられる…。
お念仏申すとは、「まかせよ、安心せよ」と絶えずよびつづけてくださる、
如来のあたたかい眼差しの中に身を置くことなのであります。              
                                                                                   shoryu

まにあった

癌を告げられた浄光寺門徒のAさん(男性)が、ある日突然私にこう言われた。
    “院家 間に合った”
 
Aさんは、数年前体に異変を感じ入院。医師より癌と宣告され、家族には後3ヶ月のいのちと告げられるが、縁あって1年と2ヶ月生きられる。亡くなられる直前までお寺のご法の場に足を運ばれる。癌が頻繁に転移する中、Aさんと二人でお寺の応接間でお茶を飲んでいる時、ポツンとひとこと…。
 “ご院家、まにあったよ。お寺と縁があって良かった。”

本人も自覚されていたが、今がわからない、今日のこの日にいのち終わるかも知れない身を抱えている本人の口から“まにあった”のことば。

今、この場でいのち終えても間に合っている。たとえどんな苦悩の中にいても間に合っている。お念仏の人生は何一つ無駄がない。
癌が縁となってAさんに “間に合った”と言わせている。
「わがために なにもかも」である。
 
 「なにもかも 弥陀のよびごえ 月仰ぐ」 丹詠(故 前住職の俳句)
 
たとえすべてが私を見放しても、“あなたを見捨てない、あなたを一人にしない”。一人ではかかえきれない苦悩のど真中にいても“そのまま引き受ける”と私のところに至り来て、私を抱きとって下さる働きが、もうすでに私のところに届けられてあった……そのことに気がつかさせてもらった、“間に合った”。
 
  Aさん「わしにも お浄土があろうかなぁ」
        私「おまかせですね」
 
この対話の2ヵ月後に61歳でご往生された。
七日参りのお勤めにお参りしたとき、Aさんの経本を開くとこんなメモが残されていた。
「“こんなはずではなかった”で いのち終わればむなしい」

 “こんなはずではなかった”で終らせしめない働きにであえたのである。間に合ってよかった。 
                                                                                                                              
shoryu
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