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お寺の歴史

お寺の歴史

浄光寺縁起
 
 開基住職釈慶念は、慶長2年(1597)に豊臣秀吉の命を受け、従軍医僧として朝鮮出兵に従う。
戦争の悲惨を目撃した慶念は、無常転変の儚さを悟り、帰国後、いのちがけの開教に従事。石西一円
に教線を張り、現在の石見地方のご法義繁昌の基礎を創りあげる。さまざまな苦難をのりこえて、
慶長年間当地に浄土真宗の教堂を開く。
 本願寺より阿弥陀如来尊像が下付(慶長11年2月21日)され、現在の地に一宇が建立されたのは
慶長11年(1606)春のことである。
  開基慶念は3人兄弟の一人で、一人は瑞穂町市木浄泉寺(朝枝姓)を、今一人は安芸教区山県郡大朝
の圓立寺(能美姓)を継いだと云われる。
 天保3年(1833)第11世釈祥應の時、4ケ年の歳月を費やして現在の本堂(9間4面)が再建
される。第14世釈白英の時、本願寺教団の発展と布教の功労により、本願寺第21代明如法主より、
数多くの染筆の軸物と越後の大寺「鳥屋野院浄光寺」に因み、「鳥屋野山」という山号、そして
「浄光精舎」の額字及び額面を賜る。皆特例となす。
 当山は、石見の妙好人善太郎同行の師匠寺である。境内には、善太郎同行の墓並びに等身大の銅像。
記念室には木像、手記、遺品が数多く展示してある。
 現在の庫裡は、昭和62年(1987)に新築再建。その折解体された旧庫裡は、本堂建立4年後に、
江津の旧家沖田屋の古い客殿の一部が移築されたものである。
 平成9年(1997)より2ヶ年の歳月を費やして、本堂平成大修復事業が進められ、屋根替、内装
(内陣荘厳)、外縁及び高欄取替、境内整備の工事がなされ現在に至る。
法 灯 継 承
浄光寺歴代住職
 
   開基  慶念       11世  祥應 
  2世   教念      12世  福應
  3世   教西      13世  誓應
  4世   願正    14世  白英
  5世   正岸     15世  貞政(       ~1914年6月28日)
  6世   霊應  16世  温香(       ~1964年3月15日)
  7世   白門  17世  温月(1915年1月15日~2002年10月30日)
  8世   林應  18世  紹隆(1947年1月10日~)
  9世   春應  19世  顕之(1977年2月 9日~)
   10世   徴應   
 
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