俳句入門講座
ようこそ 俳句の世界へ
住職の俳句
住職原稿(日本伝統俳句協会機関紙「花鳥諷詠 一頁の鑑賞」)
金剛の露ひとつぶや石の上 川端茅舎
寺の扉の谷に響くや今朝の秋 石鼎
寺の扉の谷に響くや今朝の秋 石鼎
(大正二年『ホトトギス雑詠選集』秋の部より)
ここでの扉とは寺の門のことであろう。仏教に縁の深い龍の彫刻が施されていることが少なくない。釈迦の誕生の際、龍が甘露の雨を降らせ、沐浴をさせた。仏を信じる者を守護する象徴としても知られる。
石鼎は失意の底にいた。医師を目指し進学するも落第。放校処分となった後、親にも勘当され、放浪の身となる。
下を向きながら、当てもなく放浪していると、いつしか深い闇に包まれ、辿り着いたのは山寺。大きな門を有している。固く閉ざされた門に浮かぶ龍の彫刻。しなやかにやわらかく伸びる尾とは対照的に頭はごつごつと、大きな恐ろしい眼で闇を射ぬき、石鼎を睨む。
やがて朝がやって来る。
開門の刻、固く重き門が「ごごごごご!」。猛々しい音が深き谷を染める。龍がしなやかに谷を泳ぎ、石鼎に微笑む。
訪れる静寂に振り返ると、秋。谷を静かに、秋が渡り始めている。
その後石鼎はホトトギス社に入社。龍に触れ、秋に触れ、石鼎の門が開かれた。
kenshi
夾竹桃くらくなるまっで語りけり 赤星水竹居
夾竹桃くらくなるまで語りけり 赤星水竹居
(昭和五年『ホトトギス雑詠選集』夏の部より)
先日の句会でのこと。
「顕之さん、寝床にも落花はありますよね」と言われた方がいた。
一日を終え、眠りに落ちる。閉ざされた瞼の闇。動かない闇。しかし、外では変わらず花は動き、落ちている。私の意思に関わりなく、自然は存在し、動いている。
「それを私は詠みたいんです」
面白いと思った。
蠢くような夏の暑さ。日中は外に出るのも億劫で家で過ごす。少し涼風の生まれる夕暮れを見計らい、外に出てみる作者。
やがて、格好の木陰に辿り着き、少し憩う。そこになつかしい友人だろうか。少し、はにかみながら現れる。久々の再会に暑さ、時間を忘れ、ただ語り合う。
二人の間に時間は溶けてゆき、ふと気づくと、うっすらと闇が迫って来ている。
見上げると、夾竹桃。
暗がりに赤々と咲いている。
二人の時間を生みだしたのは、この夾竹桃。木陰を作り、風に爽やかに揺れる。
その解放感に二人は別れ、夜も、夾竹桃の時間は続いていく。
蛍火の瓔珞たれしみぎはかな 川端茅舎
蛍火の瓔珞たれしみぎはかな 川端茅舎
(昭和五年『ホトトギス雑詠選集』夏の部より)
瓔珞とは珠玉と花型の金具を編み合わせたもので、仏前を飾る荘厳具である。そのきらめきは、その前に座る私の心を落ち着かせる。
古くはインドの王族が身につけた首飾りに由来があり、『観無量寿経』には釈迦に救いを乞うた韋提希が身につけていたとある。
透明な闇の中、水際に佇む作者。その静寂をポツポツと光が埋めていく。蛍の短い、いのちの光が線となり、水際に伸びてゆく。
その無常、美しさ。作者はそのきらめきを瓔珞のようだと表現された。
岸田劉生に師事し、優れた画家でもあった作者の感性が、その動かない比喩を生んだ。また、京都東福寺に籠り、仏道にも参じていたという。
四十三歳で人としてのいのちを終えた作者。
蛍火に自らのいのちを見ていたのかもしれない。
kenshi
あたたかに投捨ててある箒かな 浜人
俳句入門講座17
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俳句入門講座1~11
住職の掲載作品
角川『俳句』掲載作品 「精鋭十句競詠」
俳誌『俳壇』掲載作品
「一日」
青空の端に囀りのこぼれたる
大いなる卯浪に浮かぶ岬かな
一列の光整ふ植田かな
その中に孤高の色や花菖蒲
夏空へ赤子の声の立ち上がる
雨の来て重たき風の若葉かな
蛙の音大雨の夜を司る
○俳歴
能美顕之
昭和五十二年二月九日生
二〇一〇年 日本伝統俳句協会入会
二〇一五年 ホトトギス同人
「ホトトギス」所属