俳句入門講座
ようこそ 俳句の世界へ
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遠会釈
住職原稿(日本伝統俳句協会機関紙「花鳥諷詠 一頁の鑑賞」)
凧揚げて来てしづかなる書斎かな 山口青邨
凧揚げて来てしづかなる書斎かな 山口青邨
(昭和十一年『ホトトギス雑詠選集』春の部より)
ふと気づけば空を見上げている事がある。空は平面に見えて、百三十五億年の深さを持ち、今も広がり続けている。その深さに溺れる。
本来、凧揚げは子供の遊びと言うよりも、部落対抗の凧合戦であった。喧噪の中、凧は風に乗り、部落を代表して戦う。やがて戦いに敗れ糸が切れ、ふらふらと落ちてゆく凧。そして勝ち誇ったかのように悠然と光を纏い、空中に残る凧。その勝敗の交差の後ろに、大いなる空は広がり続け、双方の凧の行方を見守っている。包んでいる。その限りない優しさを思う。
凧は人間の揚げるものではない。宙に舞い上がった瞬間、人間の手を離れ、風のものとなる。空のものとなる。その自然界の営みに人間は身を任せ、その行方に一喜一憂する。
作者はその喧噪から離れ、書斎に戻る。あまりにも静かな空間。それは人間の営みに戻る作者を包む、宇宙の静けさなのだ、と思う。
kenshi
中空にとまらんとする落花かな 中村汀女
飛び下りてふらここ空に揺れ残る 斉藤ただし
飛び下りてふらここ空に揺れ残る 斎藤ただし
(昭和十二年『ホトトギス雑詠選集』春の部より)
本年度で私の母校である小学校が閉校することになった。
校庭の片隅に古いふらここが佇んでいる。
空に向かい、一回転しようかというほど高く漕ぎ、遠くに飛ぶことを競っていた日々を思い出す。決まって晴天であった。
「ふらここ」という季題は空を有していると思う。
その空は真っ青な空。漕ぐことでそのどこまでも広く、美しい空に近づく事が出来る。しかし決して触れることは出来ない。
作者も空を目指し、ふらここを漕いだ。風を切り、段々と角度を増し、やがては自らが風となってゆく。
空に触れられるかも、と飛び下りるがそこには空はない。
ふと振り返ると、真っ青な空をもてあそぶかのように、ふらここが揺れている。残っている。
作者はその景に憧憬する。自分は空に触れることも、感じることも出来ない。
空に残るふらここは、作者の永遠への憧れの象徴であろう。
kenshi
足もとの闇を過ぎりし落葉かな 友次郎
足もとの闇を過ぎりし落葉かな 友次郎
(昭和四年『ホトトギス雑詠選集』冬の部より)
私は高校一年生の夏、アメリカへ短期留学をした。
無謀であった。
三カ月ばかりの滞在であったが、言葉もろくに分からず、積るのは孤独感ばかり。夜がやって来ると、その闇の深さに溺れ、ただ日本を想った。
帰国のタラップを降り、感じた事。それは夜の明るさだった。
作者は音楽の勉強の為、フランスに渡り、パリ近郊のヴェジネという町からこの句を「ホトトギス」に投じた。静かなる夜道を歩く重い足もとには、孤独と望郷の念。それが闇を深くする。
その刹那、落葉が音を立てて過ぎった。
そこに、作者は日本を思い、力を得たのではないかと思う。
「落葉」が闇の中の小さな光を得て、作者の暗い足もとを照らしてゆく。
ひらりひらりと異国の地で足もとを得ない作者に、落葉が「一人ではない」と囁いているような。
限りなく余情の深い、季題の動かない一句である。
kenshi
日向ぼこして聞きわくる物の音 鈴木花蓑
俳句入門講座17
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俳句入門講座13
俳句入門講座12
俳句入門講座1~11
住職の掲載作品
角川『俳句』掲載作品 「精鋭十句競詠」
俳誌『俳壇』掲載作品
「一日」
青空の端に囀りのこぼれたる
大いなる卯浪に浮かぶ岬かな
一列の光整ふ植田かな
その中に孤高の色や花菖蒲
夏空へ赤子の声の立ち上がる
雨の来て重たき風の若葉かな
蛙の音大雨の夜を司る
○俳歴
能美顕之
昭和五十二年二月九日生
二〇一〇年 日本伝統俳句協会入会
二〇一五年 ホトトギス同人
「ホトトギス」所属